マリー・ンディアイ「心ふさがれて」

Marie NDiaye「Mon cœur a l'etroit」


昨夜、東京日仏学院で、マリー・ンディアイ/笠間直穂子(この本の翻訳者)/ミカエル・フォリエの鼎談をきいた。彼女はセネガルとフランスの混血で、フランスの片田舎に育ち今はベルリンに住んでいる。アフリカ系特有のあの魅力的な唇を持ち、褐色の肌に目をきらきらさせて喋る。ンディアイ……おしい!ユッスー・ンドゥールより名簿順は早いです。
彼女が青少年だった頃はジュブナイルがまだ無かったから、児童書からひとっとびに大人向けの小説を読みあさったそうで、マルセル・プルースト失われた時を求めて」、紫式部源氏物語」、ル・クレジオ「調書」などをお気に入りに挙げていた。特に「源氏物語」、今から1000年も昔にあれほどの文学が成立したのは、彼女の言うとおりたしかに奇跡的だ。アメリカ文学なんてそもそも存在してないし、ラブレーシェークスピアは16世紀にようやく出現してんだからダメだ紫式部すごすぎ。雨夜の品定めとか末摘花は今読んでも普通におもしろいし、六条と葵の桟敷バトルや夕顔の君はなんだかせつない。森博嗣をして「キャラ萌え」の分かりやすい例に挙げさせるあたりも、相当な普遍性である。
また、ンディアイは1年ほど前から言語のまるで分からない都市に住んでいる訳だが、そこに住むことは、ことばが音としてしか聴こえないぶん、身体の感じるものが言語という構造を通さずに赤子のようにまっさらなままで受け止められ、とても新鮮で、また家の中で文章を書くときに使うフランス語が、なおいっそう大切なものに感じられるのだそうだ。慣れない言語の慣れない方言の中に暮らしはじめた友人たちがいるけれど、そこで感じるものが寂しさなのか豊かさなのかは、言語のなす世界の広がりに、彼らがどれだけ依存していたかによるんだろう。尤も、高くそびえたつバベルはいつでも、豊かさの限界を知らしめているけれど。





08.10.29追記:
ナディアはボルドー市街の小学校教員。そこで知り合ったアンジュと再婚して充実した生活を送っていた。しかしあるとき突然、彼女と夫は街中の人々から言われのない嫌悪を浴びせられる境遇に陥る。アンジュの横腹には穴が開き次第にそれは化膿し腐りはじめ、同じアパートに住むノジェという男がずかずかと家に乗り込んできて、半ば死の床についた状態の彼の世話をしはじめる。
何の理由もなく突然疎まれはじめたはずなのに、はたして本当に何の理由もなかったのか、物語が進むにつれてだんだんと前提条件が狂い始める。ナディアは自省する、最初は(わたしたちは少しばかり教育熱心過ぎただけ)、そして次第に(同じアパートに住む人の中ではノジェだけを無視していたけど)、(自分の実子ラルフよりも彼の友人ラントンをかわいがったけど)、(アンジュを誘惑したけど)、(前夫をうまく騙して離婚の条件を思いどおりにしたけど)、(旧市街に住む両親を蔑視し捨ててもう連絡をとっていないけど)。次から次へとナディア自身の醜さがあばかれていき、ではこの悪意はその報いなのか、でも街の人々あるいは街そのものからの受難はエスカレートしていく、彼女の犯した罪と、彼女が現在受けている罰とは因果応報のバランスは正しいのだろうのか、不明なままに彼女は自らの足場を追い払われてしまう。


「どういうわけで、なんとしても私に見せまいとするのだろう?なぜ、私が見たくてたまらないと思っているなどと考えるのだろう?私のことをよく知っているはず、私が怖いことは常に極力知らずにいようとしているのを知っているはずなのに?」


舞台ボルドーは始終、濃い霧につつまれていて、茫漠とした悪意のなかを彼女は迷い、あるいは突然に激烈なそれに曝される。真綿で首をしめられたような、雪で窒息してしまうような漫然と訪れる臨終のなか、彼女は次第に理性的な考えかたを失い行動に破綻をきたしはじめる。自分がかつては軽蔑していたノジェの料理でぶくぶくと肥え太り、夫アンジュを捨て去り、テレビを執拗なまでに悪玉に据え、息子ラルフの子供の名前を執拗なまでに嫌い続ける。


醜さを冷淡に描ききるという意味ではフラナリー・オコナーに近いし、異常な舞台設定をすることで人間の心身を暴きだすという意味ではスティーブン・キングにも近い。(「痩せゆく男 Thinner」を思い出した。ただキングは軽やかにもジプシーの呪いを提示してしまうのだ。)ンディアイは間違いなく素晴らしい作家。今年読んだ海外小説だと、オコナー、クッツェーナボコフベケットは今後も攻めていくつもりなのだが、これらの大作家たちに加えることに全然違和感がない。個人的には戯曲「パパも食べなきゃ Papa doit manger」が相当おもしろいんではないかと予測しているが残念ながら邦訳はない。コメディ・フランセーズのレパートリーになっているそうだが、その栄誉は現役作家では彼女とデュラスのみらしい。(と彼女が言っていた記憶があるんですがデュラスはもう亡くなってるような。事実を正確に知ってる方いたら教えてください。)
邦訳があるのは以下の作品。
「みんな友だち Tous mes amis」(短篇集)
「ロジー・カルプ Rosie Carpe」(近刊、フェミナ賞)
「ねがいごと Le Souhait」(童話)