舞城王太郎「短篇五芒星」



「衝動で動き出すだろ?動き出す以上、何か結果っつうか、答みたいなもんが欲しくなるだろ?その衝動にも何か意味付けしたくなるっつうか、まさか何もないなんて思いたくないだろ?でもさ、そのまさかなんだよ。衝動に根拠とか理由とかないから。まったくのゼロからいきなりポンと生まれて人をぐいぐい動かしちゃうのが衝動ってもんだよ。そんなもんで動き続けてもまともな結果にも答えにも辿り着かないし、そもそもの意味も何もないんだ。人を迷わせる悪魔だよ。惑わせてるんじゃない、ドーン!と一発最初に背中を押すだけで実際に迷路にまで引きずり込むのがその衝動って糞だよ」(「美しい馬の地」p.17)


重要な決断は感覚的に下すこと、論理的に詰めないほうがいいのだと考えて実行してきたけれど、重要なことを根拠付けのないまま見切り発車すると、それを継続するのには結構な努力が必要だ。モチベーションを維持し続けるために工夫を凝らし、後付けで行動を正当化しようと試みて、逆に他の選択肢の正当性に思い当たることすらある。いやそもそもそんな選択肢はありえなかったんだ、少なくとも決断の時点では。どの時点で決断を下すかというのが分水嶺だったということであって、充分に決断の材料を集めてからでは、正当だと思える他の選択肢とやらの代わりに、そもそも当初はあったはずの選択肢が減ってしまっている。
意義や意味のない行動を正当化するということは、行動理由を捏造するのに近い。思考している最中は、自分の心理状況を論理立て整理しているようなつもりになっているが。行動理由がないということは本当に怖いから、だったら自分自身に騙されて安心できたほうが精神的には安全だ。巧みに騙し騙される手際のよい詐欺師は、迷いなく振る舞うだろうから、確信的な態度は好人物に見えるだろう。


まったく。精神病の存在ってのは世界にとって物語の余地を作りすぎたんだと思う。これこれというのはこうこうこういうあなたの気持ちがもたらした幻想、妄想ですよ。あなたのこれこれという気持ちはこうこうこうした経験があなたをねじ曲げてあなたの中に隠れていたのですよ。自分で自分を騙すという可能性を受け入れるなら大抵のことはごり押しが利く。(「バーベル・ザ・バーバリアン」p.135)