ジークムント・フロイト「自我論集」

Sigmund Freud


・欲動とその運命
・抑圧
・子供が叩かれる
・快感原則の彼岸
・自我とエス
マゾヒズムの経済論的問題
・否定
・マジック・メモについてのノート
以上を収録。「快感原則の彼岸」の幼児の糸巻の遊びの部分をふときちんと読みたくなった。


……母親が何時間も子供の側を離れていても、泣いたりしなかった。それでいて、この子は母親に心から懐いていた。……しかしこの行儀のよい子供が時折、困った癖をみせ始めた。自分の手にしたおもちゃなどの小物を、部屋の隅やベッドの下などに放り投げるのである。……そしてこの子は、小物を投げると、興味と満足の表情とともに、長く延ばしたオーオーオーオーという音を立てた。この子を観察していた母親とわたしは、この音が間投詞ではなく、「いない(フォールト)」を意味することで意見が一致した。ついにわたしは、これが子供にとって一つの遊戯であることに気づいた。子供は自分のおもちゃを「いないいない」遊びに利用していたのである。ある日わたしは、このことを裏づける観察を行うことができた。子供は、細紐を巻き付けた木製の糸巻を手にしていた。しかしこの子は、糸巻を床に転がして引っ張って歩く<車ごっこ>をすることは思い付かないようだった。子供は細紐の端を持って、布を掛けた自分の小さなベッド越しに巧みに糸巻を投げ込んだのである。糸巻が姿を消すと、子供は意味ありげなオーオーオーオーを言い、それから紐を引っ張って糸巻をベッドから取り出すと、いかにも満足そうに、「いた(ダー)」という言葉で糸巻を迎えた。……子供は自分の手にすることができるもので、母親が「いないいない」と「いた」になることを自分で演出していたのであり、これで、欲動の放棄が償われていたのである。(p.126)