ジョルジョ・アガンベン「アウシュヴィッツの残りのもの―アルシーヴと証人」



アウシュビッツ収容所の生存者による証言について書いた本。
アウシュビッツの大量虐殺が神聖化されることを彼は非常に危惧してて、彼は、「ホロコースト:丸焼きの犠牲」「ショアー:神の罰による壊滅」という言い方を採用しないことに決める。つまり、そこではただただ人間の死の尊厳が犯され続け、死体が製造されていたのだと。それは、ヒロシマベトナムでの殺戮行為に於いてでさえ考えられなかったことだ。ユダヤ人の大量の死は全くの無意味であって、匿名なものたちの犬死であったという、そのことをきちんと考えるべきだ。そこで起こった虐殺行為を神の罰としてとらえることは、人類全体の道義的な罪をわたしたち(特にドイツ人たち)に感じさせるけど、結局のところそれは法律的な罪を放棄することになる。罪はあるけど罰は自分では負わない、それが問題なんだ。
ところで犬死とはまさにその通りで、収容所でガス室に送られる囚人たちは「回教徒」と呼ばれ同朋たちからも脅威の対象とみなされていた。自分たちがいつそこにおち窪んで行くかわからない、ほとんどの感覚が麻痺し思考能力が著しく低下し食糧を求めて亡霊のように収容所をうろつく極限の生、もはや人間とは見なされない。彼らは最後には必ず死ぬから、だから、収容所の最底辺の真実は必ず証言不可能になる。そういう、語りえないものが必ず中心に残されて、アウシュビッツの生存者、監督者たちはそれに対する恥辱を拭い去ることができない。いまでもまだ自分が生きていることが問題で、罪なんだ、と彼らは口々に述べた。あれが自分たちであり得たということを知っているのに、どうしてのうのうと生きていられる?
ただ、耐えられるかもしれないことの全てに耐える必要はない、あらゆるものに手を届かせ受け入れなくてもいい。
…という主旨のことを最後のほうで、証言不可能性にからめてセミオロジー援用させて、アガンベンは書いてるけど、むっつかしいわ、、ソシュールもっかい読み直さないとダメかもしんない。ていうかネグリに続きイタリア男フェア実施中だからむしろエーコにしとくか?


ところで月曜社の本読むの初めてかも。ウラゲツ☆ブログはときどき見てます。http://urag.exblog.jp/
ユーレイくん…というかオバQというか黒魔術というか…はCIじゃなかったのかな?websiteから消えちゃいましたね。