堀江敏幸「雪沼とその周辺」
単行本発刊直後、とはもう8年前になるのか、室内にうず高く積みあげられた本のドミノタワー何本も、その頂上のひとつにしばらく鎮座していた表紙、懐かしい。当時想像していたとおりに上質で洗練された静謐な短編集。雪沼を巡る村に住む人々のささやかでつましい生活。各編が絶妙な箇所で幕を閉じる、いやむしろ幕間を挟むだけなのか、村の各所で繰り広げられる営みを切り取り接ぎ足して。
ところが、これでひとまず大丈夫、という組み方でスピーカーを戻し、発育の悪い雀みたいにひょろひょろしながらのぼり下りしていた踏み台のレンガを片づけようとして開け放したドアの外にふと目をやると、安西さんが腕を組んで、ものめずらしそうにこちらを見ているではないか。不世出とうたわれたあの演歌の歌い手が大好きな安西さんは、なにかと言えばそれをかけてくれと言い、あとは浪曲一筋で通している。そうだ、こういうときこそ、ちがう種類の音楽に引き寄せてやりたい。自分の趣味とはかけ離れているのに、おや、と感じるような曲だ。なにがいいだろう?ふたたびちゅんちゅんと台から台へ飛び移る雀となった蓮根さんは、しばらく考えた末に、かかっていたシューマンの交響曲を止め、店の奥のレコード棚からフィッシャー=ディースカウの歌う「美しき水車小屋の娘」を取りだし、家具調ステレオのターンテーブルに載せて、重いノブ式のスイッチを三十三回転の目盛りのほうへがちゃりとひねった。トーンアームがあがり、レコードの縁にむかって移動すると、リード部分の沈黙の帯にゆっくり針が降りていく。伴奏の抜けがいい。案じていた低域もしゃきっとして、明るいバリトンが響く。十数秒後、そろそろかと視線を移すと、安西さんが口をすぼめた思案顔のまま、でもひどく心を打たれた乙女のように頬を赤らめて、レジの横に立てかけたジャケットのほうにちらりと目をやるのが見えた。(p.132)