川上未映子「乳と卵」



2008年芥川賞受賞作。当時は、直木賞を同時期に受賞した桜庭一樹に比べて、見て呉れ優先のイマイチな扱いしかされてなかったように見えていた(実際、賞に至るまでの刊行数がフェアを組むには少なすぎた)、だが「ヘヴン」が出た辺りから、いつか読もうと思わせるような評価がなされ始め、漸く今に至ります。
読点だけで短文を連ねていく書き方は、へぇとは思うものの、この書き方が何かに貢献しているという感じがしない。なんとなく川上弘美の訥々とした感じを思い出したが、彼女ほどの世界観には至っていない。むしろまろやかな関西弁と適度な幼児語が、扱っているテーマのきわどさをいい按配に加減していてよい。女性がいきものやってる、なまものが女やってるという感じがします。
豊胸手術を受ける予定で上京してきた姉と、第二次性徴期を迎えた姪とが滞在する、アパートでの女の3日間。


◯胸について書きます。あたしは、なかったものがふえてゆく、ふくらんでゆく、ここにふたつあたしには関係なくふくらんで、なんのためにふくらむん。どこからくるの、なんでこのままじゃおれんのか。女子のなかには見せあって大きくなってるのをじまんする子もおったり、うれしがって、男子もおちょくってみんなそんなふうになってなんでそんなんがうれしいの、あたしが変か?あたしは胸のふくらむのが厭、めさんこ厭、死ぬほど厭や、そやのにお母さんはふくらましたいって電話で豊胸手術の話をしてる、病院の人と話してる、ぜんぶききたくてこっそりちかよってってきく、子ども生んでからってゆういつものに、母乳やったので、とか。毎日毎日毎日毎日電話して毎日あほや、あたしにのませてなくなった母乳んとこに、ちゃうもんを切って入れてもっかいそれをふくらますんか、生むまえにもどすってことなんか、ほんだら生まなんだらよかったやん、お母さんの人生は、あたしを生まなんだらよかったやんか、みんなが生まれてこんかったら、なんも問題はないように思える、うれしいも悲しいも、何もかもがもとからないのだもの。卵子精子があるのはその人のせいじゃないけれど、そしたら卵子精子、みんながもうそれを合わせることをやめたらええと思う。緑子(p.82)


本文中に挿入されてる姪・緑子の日記について、わざわざ「女は日記を読んだ」と釈明して一人称語りに一貫性を持たせている辺りが、川上の真面目さだ。
ところでこの短編、カタストロフ(卵を潰す場面)は要らない気がする。静かなまま終わるほうが、余韻というか書ききらないことの世界の広がりがありそうで、その広がりが短編というものの醍醐味じゃなかろうか。って堀江敏幸を読んだ後だとそうなっちゃいますよね。
「乳と卵」「あなたたちの恋愛は溺死」の2編収録。2編目は読むに耐えない。このタイプの作品は、もっと訓練された作家がやるべき。