ピーター・ラヴゼイ「偽のデュー警部」

Peter Lovesey「The False Inspector Dew」


英国推理作家協会賞ゴールド・ダガー受賞作。知人の推薦本です。
物語は前半・後半・オマケに分かれていました。
前半は、歯科医ウォルターが愛人アルマと共に、妻殺害の計画立案をするに至るまでのメロドラマ。殺害計画そのものが現代的な感覚だと非常に杜撰なんですが、この時代背景ならば許されるだろうという感じ。緻密に練られているとは言い難いので、こいつら本当に大丈夫なんだろうかと不安になる。一般的なミステリならば的確なスリル感を与えてくれるものだと思うけど…完全犯罪を目論み丹念に練り上げた計画がちょっとした誤算に遭遇する、というのがミステリ的には一般的な作法であるような気がします。この物語は、スリルではなくハラハラ(親心から?)を与えます。
後半は、乗り合わせた船で偶然起こった全く別の殺人事件を、ウォルターがデュー警部になりすまして捜査するというもの。ひとつの船に乗り合わせた人々のヒューマンドラマです。ヴァライティに富んだ人々が乗船しているので人間関係が錯綜していて面白いんですが、肝心のミステリは脇役です。乗船客の過去をヒアリングしない限り謎は解けないので、読者を謎解きに参加させない。しかもその過去というのが、同じ沈没船に乗り合わせていた人々がまた船上で邂逅した、というロマン溢れる内容なので、殺人事件の真犯人云々の件が霞みます。
最後のオマケは、前半の内容に驚天動地の真相を出して幕切れ。


結局この本のポイントというのは、真相が最後まで明かされなかったこと、これに尽きる。
この真相、犯罪の片割れであるウォルターは最初から完全に把握しているのに、アルマには決して明かさなかった。もちろん読者にも明かされないので、後半部分はまるごとミスリードで、そのおかげで後半部分の不透明感が演出され得たんだと思う。帯文で驚天動地と謳ってるミステリには必ずミスリードが含まれるけれど、真相を読者が知ったときにアンフェアだと思われないことが肝心だ。このミステリにおけるミスリードはフェアだろうか?アルマに真相を明かさなかったのには自明な理由があるだろうか?
ウォルターは結局のところ探偵ごっこを楽しみたかっただけだし、アルマは少女趣味で夢見がちな愚かな女だし、ここまで主役二人が魅力的でないのも珍しい。ミステリだと思って読むと不満足感が否めないが、見知らぬ人々が船旅を共にするドラマとしてはおもしろいんだろうと思います。謎解きの魅力だけで読ませるのではない場合、その謎解き以外の部分の要素が自分の読書の趣味に合うかどうかが結構大事で、私の場合は、もうちょっと文学性が高いほうが有り難いです…ダイアモンド・ダガー受賞のP.D.ジェイムズみたいにね(コーデリア・グレイしか読んでませんが)。