港千尋「愛の小さな歴史」



1年振りにばっさり切った髪が、予定していたノラ・ジョーンズではなく、むしろエマニュエル・リヴァ、「ヒロシマ・モナムール」の彼女に似ていることに気がついた。つまりわたしはそういう年齢であり、あの女性主人公と同じような質を持つ経験をしていたとしても、何らおかしくはないのだ。今年のはじめにその映画を観て、リヴァ演じる女性が愛の小さな歴史を忘却してしまうのに、漠然とした不安をおぼえた。上映後に新宿を徘徊したが、そういえば、まるで広島の歓楽街をさまようリヴァみたいだ。


「わたしは今夜、あの見知らぬ男といっしょに、あなたを裏切った。わたしは、わたしたちの物語をしゃべった。わかるでしょう、あの物語は、しゃべることができたのよ」
「ごらん、わたしがどんなにあなたを忘れているか」
「──ごらん、わたしがどんなにあなたを忘れたか」
(「ヒロシマ・モナムール」リヴァ台詞、「愛の小さな歴史」より引用)


小さな歴史は、語られた途端、あまりにも矮小になってしまう。関係者の胸の内にとどめられてこそ、不定形で不定量でいることができたのに。秘されたことが言語化され、明らかな形態を与えられた途端に、その神秘は失われる。その小さな歴史を忘れないでいるには十分だったはずの、強力な魔力が色褪せてしまう。
語らない。自慢もしないし悲嘆も語らなかった。第三者にとっては、起こらなかったも同然のことになってしまっている。でも語らなかったことによって、そしてこれからも語らないことによって、わたしはわたしの小さな歴史を守っている。もしも今後語ってしまうことがあったなら、そのときわたしは忘却するだろう。小さな歴史をすべて引き出してしまったなら、記憶の中には何も残らないのに違いない。


ヒロシマ・モナムール」は邦題が「二十四時間の情事」、反戦映画を撮影しに広島を訪れたフランス人女優と、広島に住む建築士の男性とのあいだの情事を描いた作品だ。監督がアラン・レネ、脚本がマルグリット・デュラス、主演女優がエマニュエル・リヴァ。故郷ヌヴェールでの悲恋の経験を持つ女性が、広島でついにそれを忘却する。
この映画が撮影された1958年は広島が戦前の人口を回復した年だった。写真集「HIROSHIMA1958」には、当時のリヴァが撮影した広島市街とそこに住む子供たちの写真が収録されている。(ニコンサロンでの展覧会を見た。)通称「原爆バラック」と称された基町地区を、民俗学者宮本常一は解消されるべき存在だと見なしていたけれど、リヴァはきれいに掃き清められたよく管理された居住区と捉えた。そこにいる子供たちは表情豊かにさまざまな遊びを披露する。「女優である彼女は、見るということが、まなざしを贈ることでもあると、よく知っていたのである。映画よりも先に、映画の撮影が始まるよりも前に、エマニュエル・リヴァヒロシマに、ある大切なものを贈っていたのだった。(p.222)」リヴァが子供たちに与えた贈りものに対する返礼が、子供たちの笑顔だった。
そしてその子供たちと、50年後にあたる2008年に再会する。50年とは、生きている時間のなかでの再会がありうるような歴史だった。50年前の写真を見つめる視線には、その後の未来というフィルターが必ず被せられる。たったいま撮影されたわたしは、常に未来からの視線にさらされる。今よりも確実に進化しているはずの未来の自分から。ただ、わたしたちには時代は進化しつづけるはずだという信仰があるのに、未来を羨むような発想はおこらない。逆に、古きよき過去に生きたかったという発想もしない。撮影をされている最中、わたしはカメラを通して未来の自分を見つめている。プリントされた写真をのぞきこむ未来の自分にまなざしを贈っている。この時間位置を強い思い入れを持って経験しているんだという意志をこめて。


一考に値すべき言葉。「人間の心情のなかでももっとも注目すべき特性の一つは、……一人一人はこれほどにまで我欲が強いのに、どんな時代も一般に未来に対してはいかなる嫉妬も抱かないことである。」未来に対して嫉妬を感じないということは、われわれの抱く幸福の想念の奥深くまで、われわれの生きている時代が染み込んでいるということを示している。われわれは自分が呼吸してきた大気のなかでなければ、あるいはともに生きてきた人々のなかにいなければ、幸福というものを想念することができない。言葉を換えて言えば、幸福の想念のうちには救済の想念が共鳴しているのだ──そしてこの点こそが、未来に嫉妬を感じないという奇妙な事実がわれわれに教えてくれることである。このような幸福は、まさに誤ってわれわれ自身がかつて置かれていた空しさと孤独に、その基盤を持っている。別の言い方をすれば、われわれの生は、歴史的時間の全体を凝縮するだけの力を持った筋肉なのだ。あるいはさらに別の言い方をすれば、歴史的時間についての真の想念は完全に救済の形象にもとづいている。(先の言葉はロッツェ『ミクロコスモス』Ⅲ、ライプツィヒ1864年、49ページにある。)(ヴァルター・ベンヤミン「パサージュ論(4)方法としてのユートピア」より「認識論に関して、進歩の歴史」)