川上弘美「溺レる」



川上弘美は、書かれたものについて、とても繊細だ。
これは短篇集だが、すべての短篇について、登場人物の名前をわざわざカタカナ表記にしているのが、それに気付くきっかけになった。とりあえずはカタカナ表記は異質に見えて、文章のなかで人物が際立つとともに、その物語において唯一固有であるはずの人物から、いろいろな意味付けをはぎとり漂白してしまう。読者がその名前に対して或いはその漢字に対して持っている先入観を捨てさせてしまう。そういった、重要な語句の表記についての繊細さに加え、ページ全体の図像にも気を配っているのがわかる。人名以外のカタカナを極力おさえ、動詞についてはひらがなを多用し、やわらかい印象を与えると共に、黒い線が白い紙の上でゆらゆらと踊っているようすはとても美しい。しかも改行もさほど多くはないので、余白が偏りなく散らばされているように見える。
これらの特徴は、朗読したら立ち消えてしまう。物語を紡ぐ人として以上に、書かれたものを書く人である。朗読や演劇では川上の世界は表現できないだろう。