田中純「都市の詩学」



暗闇でつぶやくように喋る声と、スクリーンに投映されるいくつものイメージ。今はもう取り壊された大学図書館の講堂で、結局、学期の最後まで講義に通いつづけた数人の中に、私は含まれていた。期末評定の対策を質問してきた見知らぬ受講仲間に答えたとおり、あの出来の良すぎるハンドアウトを見れば講義内容はだいたい把握できるのに、律儀に毎回通いつづけたのはやはり、田中純の築いた講義空間が好きだったんだろう。
当時は飛ぶ鳥を落とす勢いでMVRDVというオランダの若手建築家集団が建築メディアに露出を強めていた。オランダの人工的な国土や彼らの前世代の同国人レム・クールハースがHarvard GSDでおこなっていたアーバンリサーチの手法も含め、学生たちは、データ至上主義の都市分析に熱狂していたと思う。それに同調しながらも一方でわたしは、他大の仲間たちと一緒に、23区内を泥臭くもフィールドワークをしていたことがあった。そのときの仮説のひとつのことを、この本のなかの中沢新一「アースダイバー」関連の章を読んでいて懐かしく思い出す。東京は土地の標高差が意外と大きい。その中でも、海抜30Mにある礫層が地表に露出する地域では、礫(砂利)の透水性の高さゆえに、湧水が多く見られる。湧水点は井戸端になり寺社の手水鉢になり浴場になり繁華街になるはずだ。地質学がそのまま都市を形作っていることを、等高線30Mラインを歩いて実際に確認しよう、という手法だった。実際、任意のフェーズを選んでひとつの都市を俯瞰したり歩いたりするのは、長く馴れ親しんだ町を新しく生きなおすみたいでとても愉快なことだ。特に俯瞰において実際に活躍するのは地図だけれど、道路網の形状と並んで、地名には多くの歴史が潜んでいてわくわくする。湧水にかかわるものだけでも「神泉」「井の頭」「水元」、ほか「麹町(職種)」「富士見町(眺望)」「渋谷(地形)」など由来の種類はさまざまだ。


……地霊をあらわにするもっとも有効な方法はそれを名付けることである。……十九世紀以来支配的だった、都市を「空間」の構造としてとらえる見方に反抗したとき、鈴木(博之)が向かったのは、「場所」のセットとして都市を見る見方であり、それはいわばピクチャレスクの美学によって作られた英国式庭園を経巡る「道行文」のように、「場所」の列記こそを方法としたのである。……それは土地の名を「尽くす」ように列挙することで都市を把握しようとする方法である。八景、三十三カ所、八十八カ所、八十八境、百景といったように、場所にとりまかれていることを喜び、場所を好んで経巡るのは、いわば場所の名の列記によって、都市を蕩尽による祝祭の場に変える営みであったと言えようか。


田中は、植物学者リンネが植物群に対しておこなった名付けと体系化についても言及している。世界を言語によって分節し構造をあきらかにするのは俯瞰には向くけれど、見て廻ったり歩いて巡るためのガイドラインにはならない。「(プルーストの)「土地の名」で用いられている「列記(enumeratio)」の手法もまた、モダニズム(たとえばほかにはジョイス)によって再生された文学技法のひとつにほかならない。」そういえば読書をするときもブックガイドは必ず列記方式で、体系的に読み進めることを推奨するものなんてない。体験者になるとき、その世界に我が身をひたすとき、世界を記述する方法に列記が選ばれるということ、ツリー方式が採用されないということは、体験を記憶する際に脳の採用するデータの格納方式について、妙に想像をかきたてる。記憶はそのまま列挙状態で格納されていて、取り出す必要がある場合にだけ、そのフェーズごとにいちいち記憶を整理し構造化して記述しているのかもしれない。だとしたらフェーズは多ければ多いほどいい。そのたびに眼下に新しい世界が立ち現れるのだから。体験としては同じものを目にしているだけだとしても、言語によっておこなう追体験は別の世界を見せてくれるのだ。


この著者の書いたものはいくつも読んでいたつもりだったが、中井久夫にこれほど言及しているとは新鮮だった。精神医学と言えば、日本ではやはりこの人なんだろう。