ジル・ドゥルーズ「フーコー」

Gilles Deleuze「Foucault」


読みながら何よりも思ったのは、ドゥルーズフーコーのことが本当に好きだったんだな、ということ。本文中で何回もドゥルーズフーコーの論考のそれぞれを「美しい」という主観的なことばで賞賛する。物語でもないし形而上学にも陥らない、余白を限界まで削ぎ落として論証に徹した(ように「狂気の歴史」は見えた)、しかも監獄だの生権力だのという生々しい用語を扱う論考に対して、美しい、ということばを使って表現することで、ドゥルーズは彼がどんなにかフーコーの思想を愛していたかを、惜しげも無く吐露してしまっている。まるでいとしい人に手向ける弔辞のように。この著作はフーコーの没後2年で発表されたのだそうだ。フーコーの仕事の総括と歴史的な位置付け、思考の展開の整理、生前受けていた誤謬への反論をドゥルーズは丁寧に論じている。勿論たんに説明するだけじゃない。切り口や理解の仕方はいかにもドゥルーズらしく、論を発展させる参照先は彼が独自にとり扱ってきたものが多い。例えば、「内在的原因」とは───


その結果において現実化され、その結果に統合され、その結果において差異化されるような原因である。あるいはむしろ内在的原因とは、その結果が原因を現実化し、統合し、差異化するような原因である。だから、原因と結果、抽象機械と具体的アレンジメント(フーコーはおおむねこれに「装置」という名をあてている)との間には、相関性、相互的前提が存在している。……つまり法は、不法行為の統合にほかならない。……


内在的原因というのはドゥルーズスピノザ論でしばしば言及した考え方だった。例えば悲しい、という身体的情動が起こっている事実を前に、その原因を遡及し特定し、自らを原因-結果という因果関係にからめとろうとする、その際に、原因として想定されうる可能態のことだ。(あってる?)ドゥルーズはこの後「アンチ・オイディプス」などで、例えば父母を侵犯するべからず、という顕在化された道徳倫理(法)がむしろ内在的原因のミスリードを誘い、あたかもそのような原因が存在していたかのように思わしめ、知らず知らずのうちに法へと服従しているかのような誤解を与えている、と説明した。法は、不法行為を列挙して禁止命令をとりまとめているだけなのに。もし原因と結果、抽象機械と装置の間に相関性があるのなら、この原因-結果の転倒は、抽象機械-装置へも混乱をもたらしていると思う。たとえば有名な一望監視装置、監獄の平面図で言うと円の中心にある小さな監視台からは、放射状に配置された囚人房を常に一気に見張ることができる、という形態は、ただその形を持つというだけで実際に番人がいなくても立派に監獄になりうる。番人が存在しているかのように思わせてしまう。そのような逆方向への視線の遡及、支配者を捏造して敢えて被支配者になろうとする混乱が、両方で起きている。対応関係としては監獄-道徳倫理(法)が等位に並んでいるんだと思うが、ただし、そうきれいには対応しない。


もちろん内容の形態としての監獄は、それ自体独自の言表と規則体系をもっている。もちろん表現の形態としての刑法、犯罪行為の言表は独自の内容をもっている。ただし、それは新しいタイプの違反であり、個人に対する攻撃というよりは、むしろ財産の侵害なのである。そして、二つの形態はたえず接触しあい、たがいに浸透し、たがいの線分を奪いあうのである。刑法はたえず監獄にむけられ、囚人を送り続けるが、一方監獄はたえず犯罪行為を再生産し、犯罪行為を一つの「対象」とする。そして、刑法が異なる仕方で計画した目標を、監獄も実現し続けるのである(社会の防衛、受刑者の変容、刑の変化、個人化)。二つの形態は、相互に前提しあうものである。しかしそこには共通の形態があるわけではなく、一致も対応もないのである。……(実際、看護は十七世紀の施療院とは無関係で、十八世紀の刑法は本質的に監獄と関わりがない)……


ドゥルーズカフカの「訴訟(審判)」にも言及している。「訴訟」ではKは突然なにがしかの罪で逮捕され、延々と訴訟手続きを繰り返した挙句、最後には処刑されるのだが、訴訟の手続きそのものが身体を法に従わせる矯正手段になっているように見えた。矯正というのはそのまま監獄の果たす役割のことだ。本当は不在かもしれない監視人を見つけだしてそれに従えという指令。「硬い(独房に区切られた)線分性としての監獄は、しなやかで可動的な機能、制御された交通、自由な環境にも浸透して監獄などなしですますことを教えてくれる、ある組織網の全体にかかわるのである。それはいくらか、カフカの「無制限の引き伸ばし」に似ている。それはもう、逮捕も処刑も必要としないのだ。」Kは唐突なやり方で逮捕と処刑を執行されたけれど、あれがどうして一連の訴訟手続きと連続性を欠いているように見えたのかがわかった気がした。逮捕と処刑は法に属することで、訴訟手続きはカフカにおいては監獄に属することであったから、ドゥルーズ曰く「一致も対応もない」二つの言表が衝突していたんだろう。
法、刑法は犯罪の定義とそれに対応する刑罰の種類を定める訳だけど、犯罪にも殺人/強盗/詐欺/薬物などいろいろあるだろうに、刑罰のバリエーションは意外と少ないのが興味深い。罪の重さ軽さは厳密に決定されるけど、肝心な罪の内容については最終的な審判の内容には反映されていない。ほとんどの犯罪に対して一様に禁固刑に処すなんて、かなり大雑把だ。要は、更正だの矯正だのは法の範疇じゃない、ってことなんだろう。もし法の範疇にするのならば、それぞれの犯罪についてその内容に見合った刑罰をいちいち考案しなければならなくなる。刑務所つまりは監獄がその役割を請け負うから、そこでは更正があからさまに目指されている。そう、よく考えると本当に、監獄と刑法は全く関係がない成立の仕方をしている。
ここまで書いておいて実は、「監獄の誕生」未読なんだけど。いつ読むんだろう。…以下はメモ。


権力のダイアグラムが君主権のモデルを放棄して、規律的モデルを与えようとしたとき、それが人口についての生-権力、生-政治学となり、生の養護、管理になるとき、まさに生は権力の新しい対象としてあらわれる。そのとき、権利はますます君主の特権を構成していたもの、つまり死なせるという権利(死刑)を放棄するのだが、こんどはますます大虐殺や集団殺人を犯されるがままにする。昔の殺す権利を復活することによってではなく、逆に、人種、生命的空間、自分をより優秀とみなす一つの人口の生命と生存などを口実にしてそうするのである。この人口は自分の敵を、もはや昔の君主が法律上の敵を扱うのではなく、有毒で有害な要因、一種の「生物学的危険」として扱う。……権力が生を対象とするとき、生は権力に対する抵抗となる。