フラナリー・オコナー、サリー・フィッツジェラルド、ロバート・フィッツジェラルド編「秘義と習俗」

Flannery O'Connor, Sally Fitzgerald, Robert Fitzgerald「Mystery and Manners」


「……われわれのほとんどは、悪に関しては冷静に正面から見据えて、たいがいはそこにわれわれ自身のにやりとした映像を発見し、しかもその像をを素直に受けいれるやり方を心得ている。しかし、善となると問題は別である。その顔がやはりグロテスクであるという事実を受容できるまで、長いこと善を凝視した人は、ほとんどないのだ。……悪の様相は、ふつう相応の表現を与えられる。善の様相は、その真の顔つきをぼやけさせるような、陳腐なきまり文句や、当りのいい薄っぺらな表現でがまんしなければならない。……」


オコナーは善すらもグロテスクに描く。彼女が30歳の頃に出した短篇集「善人はなかなかいない/A Good Man is Hard to Find」は彼女いわく「原罪についての九つの短篇」。オコナーは頑ななまでにカトリック信者であることを貫いた。彼女が住んでいた米南部の地域では人々は、黒人と白人が形ばかりの平等のもとに同居し、フロイトや原始人の発見にさらされながら、それでも信仰にすがりついて生きていた。オコナーはジョージア州の人々の日常の姿を描き、それは善良きわまりない。しかし物語の最中にある事件が起こった途端、彼らの姿はグロテスクに変貌する。それは、原罪があらわになった瞬間で、そして彼らは神の顕現を求めて必死に祈りはじめる。
カトリックを知らない私は、ここで、強固な信仰を持たない彼らの滑稽さと哀れさを悼んで読書終了だ。でもオコナーは違う。彼女は、このときすでに彼らは神の恩寵の媒介として機能しているのだと断言する。「カトリック的考えでは、不完全な存在さえ、恩寵は媒介として使うことができるし、使うものであるとします。恩寵から自分自身を切断するのは決定的なことで、ほんものの選択行為、意志的行為であり、魂の基盤に影響を与えます。」
オコナーは26歳で紅斑性狼瘡を発病し、以後39歳で亡くなるまで、不治の病をなだめながら田舎での療養生活を送った。16歳の頃に同じ病気で亡くなった父の姿を思い出しながら。完全に塩分ぬきの食事、自然の塩分を含むミルクすら禁止されていた。当然アルコールも禁止。脚の骨が軟化したため両松葉杖。毎日、副腎皮質ホルモンの注射を自分でおこなう。午前中の2,3時間を作家活動に費やすのみで、午後は散歩と読書と手紙。40羽を超える鳥を飼い、母親の手伝いで農場を運営する。彼女にとっては、規則正しい生活習慣と、ジョージア州に土着した習慣と、カトリックの儀式、そういった作法mannersすべてが、彼女が生きのびるために必要な手段だった。それなしでは自死を選んだかもしれないと思う。彼女の作品やこのエッセイ集は創造性にあふれ理性的であるけれど、この創造性と理性とそして難病との組み合わせは、多くの自殺者のことを連想させる。例えばドゥルーズ。そういえば現代的な思想では、宗教的な身振りや作法をするだけで彼は立派に信仰者だ、という考え方をするが、オコナーは全く別の方法論でその結論にたどりついて、生きることと信仰とを同時に獲得していたんだと気付く。彼女は、終油の儀式(病者のための秘跡)を受けていた。正しい仕方で、生きることと信仰が結びついていたオコナーにとって、秘跡や恩寵、神の顕現や霊性のあらわれmysteryは、ごく日常的だったに違いない。


私が身近に接したキリスト教徒は、明治生まれの祖父だった。カトリックではなく、プロテスタントの一派のおそらくはバプテストであったけれど。(オコナーは、南部バプテスト同盟に対しては違和感を表明している。)炬燵のわきに据えた和茶棚に古びた聖書が仕舞われてあり、日曜になると一人ではるばる教会へ出掛けた。家族にとっては彼の信仰は日常の一部だったけれど、それが他人に知れたときにはずいぶん恥ずかしい思いをした。小学生の頃、自分の誕生の時のことを家族に聞いて作文せよ、という課題が与えられたことがあって、私は、13日の金曜日生まれであることにクリスチャンの祖父ががっかりしていた、と書いた。いたく教師に珍しがられて、初めてそれが特殊であることに気が付いた。しまったと思った。恥ずかしくて消えて失せたくなった。恥ずかしさは自分を否定したい欲求だから、その時点ですでに私は、祖父の信仰を自分の一部として、しかも不具として捉えていたのだ。自分の存在の在り方に対していきどおり、消え失せたいなどという存在論的な地点まで連れ去るような不具。祖父が亡くなってからは、父母と教会との間に不和が生じて、家族の間ではキリスト教の話題は何となく避けられていた。幼い私の恥の感情にとっては都合のいいことだった。あれから長い年月が経って恥の感情は薄れ、例えば自分の名付け親が教会の先生(牧師?)であることすらも、何のためらいもなく友人たちに話すことができるようになった。最近になって漸くだけれど。それでもどうしてだろうか、できればキリスト教を全否定したい、少なくとも私は神なしで済ませられるはずだ、という意固地な主義はなかなか消えない。……説教を終えた後にまわってくる献金袋に、かさりかさりと音をたてる紙幣、決して貨幣ではない。また、あの不和のために、一度は埋葬された共同墓地から締め出された、模範的な信仰者だった祖父をどうしてくれよう?