セルマ・ラーゲルレーヴ「ポルトガリヤの皇帝さん」

Selma Lagerlöf「The Emperor of Portugalia」


自分の読書の趣味に凝り固まるのも何なので、人の薦めてくれるままの本を読むことがときどきある、ラーゲルレーヴはその一つだ。「ニルスのふしぎな旅」の著者で、女性初のノーベル文学賞受賞者。岩波文庫収録。と、優良図書の材料が揃ってるわりには、ジェネラルな趣味とは言い難いしベストセラーとも言えない。こういうの推薦できるのっていいなと思う、売れまくってる本を薦められても、既に知ってるけど読むことを選ばなかったんだし、誰もが良いと言っている本を薦められても、その人に薦めてもらった意義がなくて寂しい。でも水準の高い本が読みたい。欲張りすぎ?


ポルトガリヤの皇帝さん」は、農夫ヤンと娘クラーラ・グッラとの間の、彼女の誕生から彼の死に至るまでの、愛情をめぐる物語だ。ヤンは娘をもったことによってはじめて愛を知り、我が家の王女様のようにして大切に扱った。娘も彼の愛情に答えて、利発で美しく成長した。けれど彼女が18のとき、ヤンは策略によって多額の借金を背負い、クラーラ・グッラはその返済のために都会へと出稼ぎに行くことになった。ヤンは気付いた、返済というのは口実で、彼女はほんとうは独り立ちしたかったのだと。彼女は都会に出て、全く便りをよこさない、彼女が気ままな贅沢暮らしを満喫しているという風評からヤンは耳を閉ざした。ヤンは代わりに、娘は女王様になったんだ、そして彼自身は父親なのだから皇帝である、と述べて、銀の錫杖と革の帽子、星形に切り抜いた銀紙を胸に、皇帝の職務を執り行うようになる。村人たちは彼の道化芝居を受け入れる、最愛の娘に捨てられたヤンは可哀想だし、そもそも彼は善人なのだ。
ところが、娘は15年の無沙汰の後に帰郷する。33歳、しらがまじり、やつれた面持ちで。そして、皇帝のふるまいをする気違いじみた父親を疎ましく思う…。
ヤンは皇帝のふるまいをするけれど、裸の王様だった訳ではなかった。彼が身につけた銀の錫杖と革の帽子は、彼の人柄を信用した、地主の女主人が彼に託したものだった、彼はその善良な人柄をもってして皇帝の地位を得たんだと言っていい。そしてその善良さは娘の誕生によって与えられたものだ。彼は娘の誕生日に、仕事仲間の溝さらえを無償で手伝うということを覚えた、仲間の家族のことを思いやって。ただ単に愚鈍で正直で勤勉で質素だから善人なのではなく、愛を知ったから善人になれたのだ。


途中まで相思相愛だった物語は、一転して残酷になった。父親の娘への愛は最後まで報われることはない。娘が彼の深い愛を知ったのは、彼が死んでしばらくしてからだった。
……で、このくだりを読んでて普通に泣けてきた。数年前に「en-taxi」(リリー・フランキー「東京タワー」を連載していた雑誌)に収録されてた「文芸漫談」で、いとうせいこうに向かって奥泉光が話してたな。ボクたちは<喪失と再生>という物語に弱いんです。もう、父と子とかって聞いただけで涙でてきちゃう。…大意です、が、見事にそのパターンで涙でてきたよ。こういうの自覚してても、素直にピーピー泣ける芥川賞作家は純粋でいいなと思うし、きっちり釣られる私も、そこそこかわいいよね。