アデライダ・ガルシア=モラレス「エル・スール」

Adelaida Garcia Morales「the South」


こういうの読む人なんだ、って思われたらちょっとウフフな気分の装幀ですんで、六本木ABCでも堂々と表紙のほうを表に向けて会計を済ませ、地下鉄車両内でも表紙を見せびらかしながら読書してた人がここにいますよ。
数週間前に渋谷のユーロスペースで、ビクトル・エリセ/Victor Erice監督の映画「エル・スール/El Sur」を観た、その原作。映画とはディテールは異なるし、エンディングも異なる。少女は自殺した父の故郷である南へ、セビーリャへ旅立つ、その直前で映画は終わるけれど、小説ではその後も描かれている。家族に心を閉ざした父、南で起こったらしいある事件を気にかけたままであるようで、心ここにあらずの父、その沈黙の謎に解答が与えられている。小説と映画とではディテールが違うから、映画の続きを知ることができるというよりは、この原作小説とあの映画の設定ならば、エリセ監督はどのような続きを撮っただろうか?と考えることができてそれが楽しい。「南」を桃源郷として描くだろうか、それとも荒廃したそれとして描くだろうか?
小説は、少女と父と母と家政婦2人が、人里離れた広い邸宅に住み、そこでの少女の心の動き、特に父親への思いを中心に描いたビルドゥングス・ロマン。少女の頃は異常な程に繊細な心で、誰かのちょっとした一言だけでその人を憎んでしまったり、身の回りに起こった些細なことを重大事件の兆候だと見なしてしまったり、現実に対して心象風景があまりに広がりすぎる頃合いなんだと思う。


ところでユーロスペースで同時期に上映していた同監督「ミツバチのささやき/El Espiritu de la Colmena」も観たんだけど、この映画を知ってる方に教えて頂きたいことが。少女たちの母親が書いていた手紙の宛先は、フランコ政権の兵士として家族の許を去ってしまった息子、でいいんですよね?明示してなくって仄めかすだけだから自信なくて。(でも、わが灰色の脳細胞がきちんと生きてるか知りたくて。)母親は、電車の窓から外を眺める見知らぬ若い兵士を見送っていたし、フランコの脱走兵が射殺されたとき父親が死体の身許確認に赴いたのは、死体が身につけていた時計を取り返すだけじゃなくて、それが近親者である可能性があったからだよね?