マルト・ロベール「カフカのように孤独に」

Marthe Robert「As Lonely As Franz Kafka」


カフカ論。
チェコ在住のユダヤ人が、ドイツ語で小説をかく。フランツ・カフカチェコ人ではなかったから、近隣各国に蹂躙されていた当時のチェコに対する思いは、チェコ人たちほどには彼の心を占めない。また、彼はドイツに在住したのではないから、ドイツ語の言語構造に身を委ねることもない。しかも、ユダヤ人の同朋たちのシオニズムに同調することもできずにいて、終には彼の地に足を踏み入れることもない。どの集団へも帰属することができずにいて、彼を捉え、律してくれる法はどこにもない。


「……<かのように>(あたかもユダヤ人でないかのように生きる、あるいは、あたかもドイツ人であり、キリスト教徒であるかのように生きる。)というそのころの彼の暗黙の生活信条のゆえに、カフカは、実際あらゆる方面で羞恥心と罪の意識をいだく。キリスト教徒に対して、なぜなら自分はユダヤ人であるから。また自分自身の良心に対して、なぜなら自分はユダヤ人ではないから。偽善的な遠慮ぶりを示すことによって彼が困惑させあざむいている向う側の連中、非ユダヤ人たちに対して罪がある彼は、さらにユダヤ教に対しても深い罪を犯しているのだ、それを捨てる勇気もないまま、それを認めることを怠るというその事実だけで絶えず裏切っているユダヤ教に対して、この二重の罪が、ヨーゼフ・Kを判決のないまま破滅へと導くところの、あの罪なき罪の意識の直接の源泉である。」


ロベールは、カフカの抱く罪の根拠を、専ら彼がユダヤ人であることに求めるけれど、おそらくもう少し一般化して、少数派であること、としてもいい。ドゥルーズガタリは彼らのカフカ論のサブタイトルを「toward a theory of minor literature」とした、そして「千のプラトー」でこう述べている、「多数派は、それを測るメートル原器として、表現と内容の定数をともなう。……多数派は、権力あるいは支配の状態の方を前提としているのであって、その逆ではない。……等質的、定常的システムとしての多数派、下位システムとしての少数派、そして潜在的な、創造された、創造的な少数派とを区別しなければならない。」多数派であると、その存在がすでに尺度として用いられ、彼ら集団の内包している律法が、そのまま世界を実効支配する権力という形で表出し、身体の律法と、世界の律法とが、幸福なことにも一致を見る。少数派であると、世界の律法のどれにも自分は所属はできないし、では自分の身体はどの律法を適用しているはずなのか、把握することすら困難になる(法という制度が身体や意識に先行していることは、ドゥルーズガタリがしばしば述べている)。どこにも帰属できている気がしない、少数派であるカフカは故に、集団に加盟するために、集団に属するに足るような資質が欲しい、集団における律法を我が身に刻み込みたい、そして拘束してほしいと待ち望む。彼の小説には、判決、律法、掟という概念が頻繁に現れ、登場人物たちは、それと折り合いをつけることができなくて苦しむ。
「美しい物語はある種の外国語で書かれる」と言ったのはプルーストだったろうか?カフカは間違いなく外国語で物語を書いた、彼の小説には、彼の追い求める理想的な律法が手の届かない偉大なものとして描かれて、決して手に入らないそれを手に入れようとする困難に満ちている。


ロベールもドゥルーズガタリも、カフカ論において、フェリーツェ・バウアーという女性の存在を重要視している。カフカと2度の婚約と2度の婚約破棄をした女性で、彼女に触発され彼女に捧げられた短篇「判決」は、一晩で一気に書き上げられ、現在見るようなカフカ世界はこのとき構築された。また、婚約はするもののなかなか結婚をしようとしないカフカは、彼女と彼女の親戚によってホテルの一室に呼び出され、そこで彼は一種の訴訟を経験している。
彼は婚姻に関して、性愛を求めていた訳ではなかった。婚姻という契約をとりかわすことによって、社会的な律法に囚われようとしただけだ。でも性愛なしの婚姻に何か意義があるのだろうか、彼女は納得するだろうか……彼は彼女に、そして自分自身にも語り聞かせていた、修道士の生活のような厳粛な結婚生活になることを。「性のない結婚に対する願望は、律法を知らないためにとかく犯すおそれのある違法行為から確実に彼を守るわけである。ただこの予防手段がその目的を凌駕するあまり、婚姻の存在理由を、また彼自身の婚姻の必要性の基盤を一挙に破壊してしまう。」カフカは2度とも婚約を破棄して、決定的にフェリーツェを失う、というより究極的には、彼は律法を手に入れることをあきらめざるを得なくなる。そうしてカフカは挫折の一覧表に記す、…、ピアノ、ヴァイオリン、語学、ドイツ学、反シオニズムシオニズムヘブライ語、庭いじり、大工仕事、文学、結婚の試み、自分の住い、…。「律法を見失ったが、それを手に入れる激しい願望はいささかも失わず、それどころか、律法が彼から遠ざかるのに比例してその願望は危険なほど激しくなっていったのだから、信条がその正統思想の厳しい規則に縛られるよりもはるかに、彼の方は律法の欠如に縛られるのである。」


フェリーツェとの出会いが彼に書かせた、「判決」のストーリーはこうである。遠方の友人にとうとう自らの婚約を告げようと決心した男が手紙を書き、投函しようという報告のために彼の父親を訪れた。ところが彼は父親に彼自身の欺瞞を散々に暴かれてしまう(このくだりで、物語の前半部分が否認される)。「わしは今、おまえに死を命じる、溺れ死ね!」死刑判決を父親に受け、そのとおり彼は外にとび出し、橋の欄干からひらりと身を投じる。
家族制度の中にあっては父親は法の執政官、裁判官であり、彼に死刑判決を受けたら、律法の定めに従って死ぬしかない。そして結局男は、婚姻を遂行することができなくなった。カフカは小説を書くことについて、「父親の引力圏からの脱出の試み」と言ったそうだ、男はやり方のすべてを年老いた父親に否定され、死刑判決を引き受けたけれど、カフカはどうにかそこから脱出しようとした。血縁ではない律法を強く求めて小説を書いて、自分を捉え形づくるはずの律法を待ちわびた、婚姻という法は彼はとうとう手に入れなかったけれど。「律法がカフカをそっとしておかないのは、他でもない、律法が彼の手から逃れてしまうからであり、それなくして生きることも、それをつくりだすこともできない彼が、その秘密を現われさせようと絶えず追いつめるからだ。」


集団の律法に自分を従わせることができない、ということは孤独感を生む。以前こういうことがあった。
かつて所属していた大学では2年の夏に学科振り分けがあり、入学当初のクラスメイトの中から私を含む3人が同じ学科に進学した。私以外にも女性が1人、女子4人から、女子20人弱の「集団」へと移行した。学科に進学してほどなくして、かの女性は特定の女友達とグループ行動をとるようになった。私はそういう付き合い方ができないからやむを得ない、次第に彼女とは疎遠になった。ある日、居残って課題を仕上げようと、夕食の買い出しから戻って学科の広い教室に入ろうとした途端、彼女の声が室内から聞こえた、「わたし、×××に絶対きらわれてるよー!」私の名を挙げて。教室のガラスの扉ごしにもう姿は見えてしまっているだろうと観念して、そのまま無言でドアを開けたとき、こちらを振り返った彼女やその話をきいていた学科の友人たち4,5人の顔が忘れられない。いや、実際にはその中の男性ひとりの顔が忘れられない。今まで普通に親しく接していたのに、排斥していると見なされかねない話を聞いてしまっていたばつの悪さ、でも、自分がフォローしなくてはいけない対象ではない者を見る者の視線、何も出来ないししないけどごめん。かつて彼に冗談まじりで言われたことがあった、自分は学科に来る前からあなたのことは知っていた、なぜならあなたはいつも一人で構内を歩いていたから、女の子なのにいつも一人なのは珍しいと思って覚えていた、と。集団においてはお決まりの女子の振る舞いができない、集団の律法を持たない人間であるということは、集団の中に投げ込まれるとはじめて、帰属感のなさを暴かれてしまう。
実際のところ、この手の視線には高校時代にも出くわしていた。当時私は成績が良いというただそれだけの理由で某委員長職に就かされていた。壇上から私が行った発言にいたく傷ついたとかで、当時のクラスメイトの女子に校舎の裏に呼び出されて、謝れ、と言われたことがあった。呼び出しそのものは痛くも痒くもなく、あっごめんなさいね、と告げて、拍子抜けしている彼女たち(彼女は友人連れだった、当然のことながら)を尻目にさっさと教室に引き上げた。ただ、教室で私を待っていた友人たちの気遣わしげな視線は忘れられない。友人たちは、彼女たちが日頃から私の文句を言っているのを聞いていたらしかった、でも注意することをしなかったきまり悪さ、私に肩入れすることはしない、かばわなくてはいけない訳じゃないでしょ。
もっと遡って中学時代ならば、ここでは集団で行動するということをきちんとやっていた。地方の無選抜の公立中学校で、成績が良く従順で教師にひいきにされる子は、ひとつ皮肉な発言をしただけで、翌日の朝には教室の机の上にタバコの灰が降り積もるものだ(本当にされた)、自衛をするのは当たり前だろう。高校、大学へと進学するにつれ、周囲は寛容で理解力のある人たちばかりになり、従わなければならない律法の存在を忘れてしまっていた。集団の律法を体現できない、女子には常套のコードに従うことができない、そういう自分の不具に対して折り合いをつけるには、例えば、律法に従っている連中を蔑めば関係が反転するだろう。それができれば良かったのに、でも気がついているのだ、自分がこうして一人できままにいられたのは、彼女ら、律法に囚われながらもそこから外れている人に対して寛容さを見失わなかった彼女ら、に負うところが大きかったのだということを。