フランツ・カフカ「カフカ短篇集」



ドゥルーズガタリもロベールも、あまりに「判決」に言及するので、短篇を洗い直し。
カフカアフォリズムをわかりやすい形で示すから、他のいろいろな小説が孕んでいた謎を明示してくれる。たとえば、「中年のひとり者ブルームフェルト」では、文学作品でのつがいの問題を意識させる。メルヴィルバートルビー」における同僚2人。ベケットゴドーを待ちながら」における待ちぼうけ2人。彼らは2人でひとつのことがらを体現している、でぶとやせ、せっかちとのんびり、という性質を与えられて、ポンプのように物語を加速させる。また、所収の「流刑地にて」では、以前にクッツェー「夷荻を待ちながら」を読んで不可解だったことが理解できた気がした。
流刑地にて」では、旧来通り、と称されるある刑罰方法が登場する。罪人は自らの罪状を知らないままに死刑に処され、特殊な処刑機械によって判決文が身体に刻み込まれる。将校はその方法を旅行者に熱心に説明し、存続を共に訴えてほしいと請うけれど、旅行者ははっきりとその意義を否定してしまう。見込みを失った将校は、もはやこの処刑方法は存続しないだろうと絶望し、自らが処刑機械によって処刑されることを選んだ。判決文「正義のために」を選んで、身体を機械に委ねた途端、機械は故障してしまっていた。判決文が刻み込まれることのないまま、将校は故障した処刑機械によって惨殺された。
クッツェー「夷荻を待ちながら」では、町の執政官は、国から派遣されてきた大佐が不要な征伐や拷問を行うのを止めることができず、執政官としての務めを踏みにじられた。次第に彼は、むしろ拷問を受けることに魅入られるようになった。なぜその自分の町の法を蹂躙されたことですなわち身体的な拷問を欲するのかがいまひとつ理解できなかった。でも、執政官の身体そのものが町の法の体現であったということを考慮すると納得がいく。彼は、自分の身体が踏みにじられたこと、律法を無視されるがままにしてしまったこと、でも実体の身体がなお生き生きとしていることとの落差があまりに耐え難く、拷問を加えて足をねじ曲げてほしい、身体も不具にして、踏み荒らされた律法を身体にも刻み込みたかったんだろうと思う。
流刑地にて」では、罪人の罪状は身体に刻み込まれるのに、将校はついには判決文を自分の身体に刻み込ませることができなかった、彼は自らの判決文を自分で選んでしまっていた。操作者のいなくなる処刑機械は、もうこれ以上動くことなんかない、最後に機械は、自壊すると共に、その操作者を惨殺した。将校は処刑機械の操作者たる誇りを失ってしまったのだ、判決は自分のあずかり知らないところから降りかかるのではなくあくまで自分の手で、律法に従ってではなくあくまで自分自身で判決を下した、彼は、律法の施行を体現する機械の伴走者たる資格なんてあるだろうか?


池内紀訳、岩波文庫版では以下に示す20の短篇を収録。
「掟の門」:「訴訟(審判)」でも登場する短篇。あなたのためだけの門だったのに。
「判決」:フェリーツェ・バウアーに捧げられた短篇、一晩で書き上げられた、カフカ的世界の端緒。D+Gも言及。
「田舎医者」
「雑種」
流刑地にて」:罪人は自らの罪を知らず、処刑の際に判決文が身体に刻み込まれる。将校には望む判決文が刻まれずに故障した処刑機械に惨殺された。D+Gも言及。
「父の気がかり」:未知の生物オドラデクについて。
「狩人グラフス」
「火夫」
「夢」:ヨーゼフ・Kが登場。自分の死と夢について。
「バケツの騎士」
「夜に」
「中年のひとり者ブルームフェルト」:つがいの問題。2つのボール、2人の少女、2人の工場助手。
「こま」
「橋」:律法に背いた罰の問題。うつぶせて支点間を支えていたのが、仰向けになった途端に奈落に落ちる。
「町の紋章」
「禿鷹」
「人魚の沈黙」
「プロメテウス」
「喩えについて」
万里の長城」:築造にかかる時間にもその範囲にも目が届かない庶民を動かす。または君主制の限界。D+Gも言及。