フェリックス・ガタリ「カフカの夢分析」

Félix Guattari「65 rêves de Franz Kafka」


フロイトにとっては、夢は無意識の奥深い新陳代謝が記録されたものの表面にすぎなかった。……カフカは、夢のなかの意味をなさない地点をある解釈学のくびきの下におきながら、それを増殖かつ拡大させつつ、いかなる構造的超コード化もほどこさないで、別の想像的構成、別の考え、別の人物、別の精神的座標を生み出そうとする。すると、そのとき、既成の意味秩序に敵対する創造的過程が打ち立てられる。それは突然変異的な主観性の生産の過程であり、そこには限りない豊富化をもたらしうる潜勢力がはらまれている。」
ドゥルーズとの共著「カフカ」の後、ガタリがなしていたカフカ研究。カフカは自分が見たいくつもの夢をノートに記していて、それをフロイト夢分析ではない方法で、彼の文学作品の源泉を発見している。あるとき見た異常な夢を、それがどういう無意識を表現しているのかを留保したままで、大きく引き延ばす。


くりかえし見る夢がいくつかある。たとえば自分の歯がすべて抜けそうになる夢。これは、かつて歯列矯正をしたときに歯のぐらつきようが怖かった、その体験が心に刷り込まれているんだと解釈できる。そのような仕方で理性の光が無意識を照らし出すのを、わたしは歓迎してきた。しかしもうひとつには、自分が大量にコピーされている夢。スキンヘッドにされたすべてのわたしをわたしが背後に背負って、疲れたように歩いているだけの。跳ね起きて、その妄想は頭の中で鳴り響いて活動しているのに、他の思考や身体がまだ気だるいままなのを、無理矢理叩き起こした。解釈のしようがないままで、映画「マルコヴィッチの穴」のポスター、美術家アントニー・ゴームリーの「フィールド」、を目にして、同じ夢がそこに表現されているのを知る。