アイスキュロス「ギリシア悲劇(1)」



オレステイア三部作収録。
第一部では、戦場から帰還したアガメムノン王が、王妃クリュタイメストラと情夫アイギストスに殺害される。アイギストスアガメムノンの家系にもともと恨みがあって、というのは彼の父親は、アガメムノンの父王の策略により、食卓に供された我が子を喰らわされていた。そこでアイギストスは、自分の手を汚さずに、アガメムノンの家系を血で塗らす企てを実行した。アガメムノンはかつて戦場に赴く際に、自分の子供を神への生贄として捧げていた、その我が子を殺された恨みを果たすよう王妃クリュタイメストラを唆し、彼女の情夫となり、妻による夫の殺害を教唆したのだ。
第二部では、アガメムノンクリュタイメストラとの間の子オレステスが帰国し、クリュタイメストラアイギストスを殺害して父親の仇をとる。オレステスに対しては姉エレクトラも臣下たちも彼に忠実だ。アポロン神が父の仇をとれ、と彼に伝え聞かせ、彼は殺害を実行する。クリュタイメストラオレステスに対して呪いの復讐神を解き放ち、彼はそれに追われるようにして国を去る。
第三部では、諸国を放浪したオレステスがアテナ女神の許に辿り着き、そこでアテナイ市民とアテナから成る法廷の裁きを受ける。アポロン神が彼の弁護を引き受ける。裁判においてはアテナイ市民による採決は罪無罪同数で、結局はアテナの判断に左右されてオレステスは無罪になり解放される。いっぽうで原告の復讐神たちはアテナイの地にとどまり、めぐみの女神として君臨することになる。


クリュタイメストラが血縁の権化として描かれていて、彼女は我が子を殺された恨みとして自分の夫を殺し、次は自分の子オレステスに殺されたことを恨んで呪いの復讐神を解き放つ。血縁ということ、家族制度というひとつの契約社会では、理性の世界とは相容れない、血縁という繋がりによって成立しているから、それをいかに調停するかが法廷で問われる。
法廷においてアポロンオレステスを弁護して言う、「だいたいが母というのは、その母の子と呼ばれる者の生みの親ではない、その胎内に新しく宿った胤を育てる者に過ぎないのだ、子をもうけるのは父親であり、母はただあたかも主人が客をもてなすように、その若い芽を護り育ててゆくわけなのだ。」アポロンは理性の神であり、理性としての家族制度の原理原則はここで示されている。だがこの原理原則は、アテナイ市民のフィフティの賛同しか得られなかった。
単純に結果だけを見れば、法の契約が血縁に勝利した、法による裁きが復讐劇に勝る、理性の勝利に祝杯を挙げる戯曲のように思える。けれども、法廷での判決はあまりに紙一重で、わずかばかりの勝利はしかも、市民によってもたらされたのではなかった。アポロンの弁護の中には逆説的に、家族制度の中で母が負う悲劇がしめされている。彼がいかに家族を制度として捉えようと、そこには必ず腹をいためたクリュタイメストラが存在していて、彼女をどう償うかはとても重要なことだ。
(この戯曲は、理性を司るのは男性、情念を司るのは女性、と単純に構成されている訳ではない。アイギストスは、子を殺された恨みによってアガメムノン殺害を企てた。)


オレステスの姉エレクトラは、幾重もの性格を投影されているように見える。彼女は、供儀にされた自分の兄弟の仇のことは何一つ考えない、けれども、自分の父親を殺害された仇は考慮する。そういう意味では、家族を血縁としてではなく制度として捉えているように見えるのに、彼女のいちばんの悲嘆は、はっきりと「父」を喪失した悲しみであり、当主を失った悲しみではないのだ。
しかも彼女は、自分自身が手を汚すことを選ばない。もしもオレステスではなくエレクトラの手で母親が殺害されていたならば、血縁の呪いを一身に引き受けることによって家族制度は明瞭な光の中に保てるのに、彼女はわざわざ、愛しい弟オレステスの身に、血縁の償いを引き受けさせた。血縁を忘れるな、無傷のままで逃れることはできない。


というおどし文句はおいといて、この本を購入したおかいもの〜!は楽しかったです。友人と2人で書店に行ってああだこうだと言いながらお互いの趣味をおしつけあって、そのあと喫茶店で本日の収穫を女子高生よろしく見せびらかし合ういい大人たち。