クロード・レヴィ=ストロース、今福龍太「サンパウロへのサウダージ」

Claude Levi-Strauss「Saudades de Sao Paulo」


2008年11月28日、レヴィ=ストロースは100歳の誕生日を迎えた。あまりに偉大すぎるこの文化人類学者の生誕100年を、まだ生きている彼と共に迎えられるとは、とても喜ばしいことだ。港千尋レヴィ=ストロースの庭」で見る彼の近影はとても穏やかな姿で、印象派の絵画を思わせる庭園にたたずみ、長い時間を思索に費やした人独特の静けさをまとっていた。そして「サンパウロへのサウダージ」は、高度成長を迎えた都市サンパウロを訪れ、あるいは消えゆく原住民文化を前にして、彼が思想家として感じとっていた不安感や所在のなさを、さまざまな視点から見つめることのできる本だ。レヴィ=ストロース視点による1部と、ある日本人学者による1部、計2部構成。


まず、レヴィ=ストロースが27歳のときにサンパウロに赴任し講義をおこなった、その際の短いエッセイと彼の撮影したスナップショット、そして現在から眺めた述懐録。当時のサンパウロは、地形に基づいて地区割がおこなわれた地域計画が、経済原理による高層ビルの乱立にとってかわられようとしている、旧いものが新しいものに駆逐されようとしているさなかだった。「(写真集のタイトルにサウダージという言葉を使った理由について)……あれほど長いあいだ再び訪ねることもしなかった土地にたいして、いま嘆き悲しんで何の役にたつというのだろう。むしろ私は、ある特定の場所を回想したり再訪したりしたときに、この世に永続的なものなどなにひとつなく、頼ることのできる不変の拠り所も存在しないのだ、という明白な事実によって私たちの意識が貫かれたときに感じる、あの締めつけられるような心の痛みを換起しようとしたのだった。……」彼の撮影したサンパウロ市街地の写真は、当時ランドマークであったマルティネッリ・ビルが意識されている以外はきわめてさりげなく撮影されているように見えるけれど、農と漁、畑と市街、バラックと高層ビルというような対比が自然ときりとられている。「私は写真にそれほど重きを置いたことはありません。……いつも時間の無駄だ、注意力の損失だと感じながら撮っていました。……そもそも、ここで正直に申し上げますが、民俗学の写真にはうんざりなのです。」未来についてはいかがですか?「その種の質問はしないでください。今の世界は、もはや私の属する世界ではありません、私の知っている、私の愛した世界は、人口二五億の世界です。現在では六〇億を数えています。これはもう私の世界ではありません。そして、九〇億の男女が住むーたとえ、私たちを慰めるためにそれが人口増加のピークであると言われたにせよー明日の世界について、何か予言することなどとうてい不可能です……。」


「数百年後に、この同じ場所で、別の一人の旅人が、私が見ることのできたはずの、だが私には見えなかったものが消滅してしまったことを、私と同じように絶望して嘆き悲しむことであろう。(クロード・レヴィ=ストロース「悲しき熱帯」)


そして65年後、今福龍太はブラジル滞在の機会を得て、レヴィ=ストロースのスナップショットの風景から、彼のサンパウロでの足跡を辿ることになる。彼の訪れた頃には勿論サンパウロは高度成長を遂げた後で、だが街角の十字架や植栽のごく一部に、レヴィ=ストロースと同じ視線を見出すことができた。今福はレヴィ=ストロースの写真のなかに、資料としての客観的な写真では有り得ないような不思議な感覚をとらえる。民族学的な事実を、あるいは都市の変遷という歴史の事実を焼き付けようという視線でもなければ、異郷のイメージを西欧に輸出しようとする搾取の視線でもない。自分が瞬間的に捉えたこのイメージはおそらく近いうちに消失してしまうだろうという、不在を運命づけられた対象が生みだす移ろいの相をとらえていて、そこに於いては、歴史が時間の中で刻まれるということは当たり前のことではない。イメージは、わずか65年で過去に押し流され追憶の対象になる。(特に、レヴィ=ストロース「悲しき熱帯」に収録されている写真や記録は、彼が森林地帯の原住民調査をおこなったときのものが多いらしい、それに同行したブラジル人学者カストロ・ファリアは、「悲しき熱帯」の民族誌としての価値をほぼ全否定し、彼の調査手法の不備を非難し、彼はブラジルの快楽的な生活を満喫しただけのエリートに過ぎない、と断罪してしまう。)


レヴィ=ストロースという偉大な先人の人間的な苦悩を、美しい形で、そして少しばかり今福の個人的な思いをのせて、鮮やかに描き上げた書物。年越し用のおめでたい本おすすめして、というわたしのムチャ振りに見事に応えてくれた友人に拍手。