蔵本由紀「非線形科学」



自然界で一見ランダムに見える現象にも実は美しい数式(アルゴリズム)がかくされている、という視点のもとに、共振現象やフラクタルなどの考え方を、一般の人に理解できる形で概説した紹介書。あくまでエントリーモデルなので、書店で目次を見て既視感のあるお題ばかりだなと思ったら読む必要なし。わたし、半分以上は既知の上、著者を有名にした業績「蔵本モデル」まで知ってた。む〜ん。
こういう本を読んだり、理科系の研究職についてる友人に話をきいたりすることが時々あるけど、聞いてて超たのしくなってくる時とそうじゃない時がある。
たのしい時はどんな時かと言うと、まずは、ホントに現在進行形で研究してることを未解明ありまくりツッコミどころ満載のまま、ぶちまけてくれてる時がおもしろい。彼らは必ず説明不足なので、聞いてるこちらも自分の知識を総動員させて質問するのに余念がない。そんなことしてるうちにエキサイトの渦にまきこまれてていつのまにか会話の覇権をにぎられてる。あと他には、自分の研究分野を包括的に説明するんじゃなくて、まさにニッチだけを視野狭窄もいいところで語り尽くしてる時なんかも格別です。アメトーークの「ジョジョの奇妙な芸人」とか、しょこたんのオタク談義とか、話してる内容全然わからないのに聞いてておもしろくて仕方ないのと全く同じ原理。
そして逆につまらないのは、「一般向け、もしくはシロート向けに」準備した原稿を読むように、破綻なく概説してしまう研究者クン。わかりやすいけどおもしろくはないんだよね。特にサシで話してるときにそうやられると超最悪。目の前にいる人をちゃんと見ましょう、「一般の人」なんていう人は存在してませんから。


共振現象についておもしろいなと思うのは、たとえば東欧圏の人たちは拍手喝采のリズムが次第に合ってきてしまうこと、ミレニアムブリッジを通過する雑多な人の群れがいつしか共振を起こして橋を揺らすこと、など、人の行動までをも科学の俎上にのせることができるということだ。そしたらひょっとすると、人の気持ちまでも何かの科学的根拠に基づいて増減しているかもしれない。「気持ちを加減したければその対象について考える時間を減らせばいい。そう結論づけたじゃないか。どうしてもう一度同じ設問をするんだ?/それはもちろん自分の出した答に納得してないからだ。/一度ある程度膨らんでしまった気持ちは、それについて考えてなくても勝手に増大するし縮小するのだ。そういう状態の気持ちを加減できるのか?愛情や憎しみが図らずも育ってしまったとき、それをコントロールするすべはあるのか?それが僕は訊きたいのだ。/でもそんなの気持ちを増減させる内的要因がはっきりしていないのに答えられない。答えられないことは後回しだ。(舞城王太郎「SPEEDBOY!」)」でもそういう仮説を立てることは、具体的な気持ちがすこし楽になる一方で、いやなことに気付かされる。そう、鏡の中にはわたしはいるけれど、今ここにわたしがいるかどうかは立証不可能だ、ということを。