サミュエル・ベケット「ゴドーを待ちながら」



戯曲。ニ幕構成の劇。
第一幕では夕暮れ時一本の木の下で、ゴドーを待つ2人の男(エストラゴン・ヴラジーミル)、2人の通行人(ポッツォ・ラッキー)、ゴドーが今日は来ないことを告げる1人の男の子、が登場し会話を交わす。第ニ幕では翌日の夕暮れ時…以下ほとんど同じことが起こる。ヴラジーミル以外の登場人物は健忘症で、前の日に何が起こったかほとんど覚えていない、ただ前日に比べて状況が僅かに変化する、しかも悪いほうへ、そして相変わらず次の日もその次の日もゴドーを待ち続けるというそのことだけにヴラジーミルは執着するだろう。ゴドーは一体誰なのか、示されないままで。
ゴドーGodotは神を指し示しているという解釈が有力なのらしいが、それ考えながら読むと、「…以下同じ」という滑稽さは悪夢のようだ。とりあえず今日のところは首吊りしなかった、今日のところは痛めた足も持ちこたえている、胎児のように地面にうずくまり、虚しい会話を繰り返す。


そういや映画「コロッサル・ユース」、結局3回見ました。トーク・イヴェントにて建築家の鈴木了ニさんが「3回見て!そうすると分かるよ!」と激オススメしてたのですがね。