梨木香歩「家守綺譚」



村田エフェンディの友人である青年が、自分が住み込み管理する古い家に起こる奇妙なことどもを短文にて書き連ねた小説。以前、梨木の「沼地のある森を抜けて」を読んだときにうっとおしいと感じた、理屈っぽい側面が完全に払拭されている。理解を超えることでもあるがまま受け入れ親しむことのできる寛容さ、はとても美しい。


この物語において、奇妙な事件の多くは小さな庭で起きている。最近、住居に庭がある、ということの良さが、身に沁みて理解できるようになった。わたしの知る限りの日本の庭は、身近に接することのできる最小限の自然でありながら、同時に、生をより開けた環境へと拡張させていく契機だった。
わたしが少女時代まで住んだ家には、そうも広くはなかったけれど、自然とも人工ともつかぬ庭があった。柿、梅、白モクレンネムの木、お茶の木、紫式部、白式部、雪柳、山吹、おいらん草、りんどう、こごみ、つるむらさき、葱、庭梅、かえで、モミジ、ハナミズキ、竹、イカリ草、どくだみ、マサキ、ドウダンツツジツツジ、ツゲ、へちま、リンゴの木、ゴールドクレストクリスマスローズ、チューリップ、サルビア、ベゴニア、ペチュニア、クロッカス、福寿草、ゼラニューム、オリヅルラン、アヤメ、南天、オモト、テッセン、シャクナゲ、ボタン、バラ、沈丁花、萩、アジサイ…季節がうつろうごとに次々に花が咲き乱れ、初夏にはアメリカシロヒトリが猛威をふるい、夏が本格化するまでには地面の穴・抜け殻・蝉の声というワンセットがひとつの柿の木に出揃った。みどりに濁った外水槽の水を使ってオミソシルを作り。ヘチマ水なるものを作ってぱたぱたと顔にはたき掛け。梅の木の枝の腰掛け状の窪みまでよじのぼり両親を上目線から眺めおろし、または枝に掛けたブランコを揺らして遊んだ。庭にテントをはって、虫が耳元でささやくのを聞きながら、興奮の一夜を過ごしたこともあった。お化けが巡回してきたんだったなあの時。庭を探検するとき少し油断すると女郎蜘蛛が張りめぐらす巣に惑わされ、苛々しながら巣を払い蜘蛛の脚を一本一本ひきちぎり、飼っていたミドリガメに与えたものだ。また蟻の行列を途絶えさせるのに必死になった。庭で採れたこごみをおひたしにして食し、小便をしたからこごみの成長が良いのだ、と父が言うのを母子そろって睨みつけたこともあった。秋には行楽のお弁当には必ず紅葉した柿の葉が彩られ、一家族にはあまりに多すぎる収穫量の柿は、干し柿になり、熟し柿になって冬を迎えた。冬は雪を懸命に払って樹木が倒れるのを防いで。一方で滑り台兼かまくらを作って遊びながら、新雪に転がり込み口いっぱいに冷たい塊をほおばった。スノー・トレッキング・シューズで小さな足跡を付けながら、常に常に新しい雪の上を意気揚々と行進して、新世界の踏破者になった。
イカン感傷的になってしまった。
……この本はそう、最近シリコンバレーに引っ越すまでは長くハワイにいた友人に、繊細な日本の季節感を失いかけている彼に届けよう。