ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人」



茫漠とした日常の中でもごくささやかなことが案外、死を選ぶということの動機を軽減させ得ているものだ。ヴァージニア・ウルフが一度は試みに書いたという、ダロウェイ夫人の自殺は、彼女の意識が自在に物語の中に溢れ出すことで、思いとどまらされたに違いないと思う。人の感情の複雑さの持つ説得力は、なかなかシンプルな問題解決をさせない。排斥によって思考を整理することは単純明快で、わたしはそれを愛するけれど、複雑さを受け入れて他人のごく近くまで降りて行ってなお、わたしとその人との物語は開かれたままでいられるか、それが可能なのか試してみなくてはいけないだろう。


…とか何とか考えてたけど、この直後に読み始めた「ロリータ」が衝撃的におもしろ過ぎて、「ダロウェイ夫人」の読後感は殆ど吹っ飛んでしまいました。ハンバート・ハンバート博士がもうとにかく愛すべき人物。自分のニンフェット趣味を学術的に定義づけたり(笑)我が笏杖を握らせたり(笑)女衒にひっかかったり(苦笑)自分は昔も今もとびきりの美男子だとか言ってみたり(爆笑)少女らを見て狼狽したり(笑)ローはもう初潮は来ただろうかとか想像したり(苦笑)。メトロに乗ってて始終ニタニタしながら「ロリータ」読んでるなんて、変質者以外の何物でもないわ。