J・M・クッツェー「少年時代」



南アフリカノーベル賞作家クッツェーの自伝的小説。彼の他の小説は舞台が南アフリカ内であっても不思議と南アフリカの物語を読んでいるという気にさせなくて、立ち戻る先は常に普遍だった。けどこの物語ではさすがにアフリカーナーもカラードも、農場も狩猟も出てきて、少年の生活の一部と彼の思考とが各章10ページ強で淡々と語られる。特にアフリカーナー、或いは自分の強く優しい母親に対する強い感情が細部にわたって描かれてる。そこに一貫しているのはこだわる、ということだけで、そのこだわりが羨望にも反発にも揺れ動く。彼には強い外部者が身近に存在していなくて、例えば民族的に優遇されている者とか強権的な父性とか、それを彼は自分自身の中に捏造しなくちゃならない。そして学校の教師の鞭を極端に恐れて、泥でつくった彼の権威が破壊されてしまわないようにただひたすら守ってる。
自分の感情を的確に言い表せるだけの語彙なんて、本当になかなか身に付かない。クッツェーが採用した10歳前後という少年時代は、自分が実際に思っていて伝えたいはずのことと、自分が口にしていることとの落差に気がついて、それをひたすら埋めようとする時期でもあるように思えた。彼は熟練した言語を身につけた今、自分が当時思っていたことをより確かな言葉として伝達にのせることで、彼の少年時代を救済したんじゃないかと思う。
さて私自身にも救済してあげたい感情記憶はいくらもあるぜ。それらをいちいち言語化して救い上げたら多分、自分が何を大切にして生きているのかが判るんだろう。