ウラジーミル・ナボコフ「透明な対象」



やばい。超いいですナボコフ
翻訳に対して彼がすごく口やかましかったのも理解できる。暗喩に満ちてて多分そのごく一部だけしか私は気付いてないんだろうけど、それに気付いた瞬間自分の口からウヒっていうシニカルな笑いがマジで漏れたのが可笑しい。それに、主にウィトゲンシュタインを下敷きにしているという、語り手の形而上学的な考察が物語と見事に絡み合って展開するのも、適正な距離を保って物語とおつきあいさせて頂きましてなかなか心地よい限り。物語に夢中になってどっぷり浸って共感して、みたいのはシュミじゃないんだよね。そして、物語の要のシーンとなりえたはずの絞殺の現場すら、通常の語りはせずに、考察対象としてだけ描き込んでしまうのもとても知性的だ。…こういうコウサツーコウサツという類いの韻がそこかしこで行われててそれらが無意味じゃないんだよね彼は。
まだうまく言えないけど、何かひとつの対象をどう表現するか、三人称の物語か手記なのか、形而上学精神分析か、それらを混成させて作り上げるということの多面性が、その対象をとても不安定な位置に宙づりにさせていて、一辺倒な語りだけじゃ不可能な、妙に帰属感の薄い世界を生み出しているんだよね。オコナーもクッツェーも最初に読んだ1冊では彼らが何を描いてるのかよく判らなかったし、ナボコフももうあと何冊か読めばもっとはっきりしてくるだろうか。さて「ロリータ」を何冊目に据えよう?