ジョルジュ・バタイユ「空の青み」



自分があまりにも健全すぎたり前向きすぎたりするのに辟易すると、バタイユとか。
彼の場合、生への嫌悪感や健全さへの反発が、死への志向や性の乱痴気騒ぎに向かってると思うのだ。本書中の「私」は自分の堕落に女性を巻き込みたがるし同類を求めているし、堕としめたい一緒に堕ちてほしい、自分がどうしても向かってしまう彼岸を認識してくれ、でもお前にはわからないだろうよ、そんな声が聞こえるようなんだよね。結局は均衡を保ちながら生き続けることを知っているけれどなかなか引き受けられない、そんな悲しさが感じられてならない。
ただひとつ、「私」のやってることを性の乱痴気騒ぎなどと言ってみたところで、それが異常な性かそれとも正常かなんて誰にも判断できない。性的な事柄は秘されるべきことになってるから、性経験の積み重ねは個人というレベルを超えることがなく、正常異常の閾値を設定するためのサンプル数は必ず偏ってしかも不足する。自分の性の個人史を振り返ってみて、「星空で墓場でセックスはどうよ?」と自問してみるしかないのだ。でもそんなふうに個人的だからこそ、性的なことは奇跡的な行為なんだと思うけど。はるか昔からみんながやってることなのに、みんな他の人が何やってるのか知らないままなんてすごいことだ。ひと2人いればそれだけで楽しいってのもありえん。一生1人のひととだけにするってのもすごい。ていうかすごいっていうかおかしいでしょ普通、なんでこんな特殊なことになったんだろう?


「アンリ──あんたがあまり苦しめるものだから、私もうどちらが病人なのかわからなくなってしまったわ……そうよ、死ぬのはあんたじゃないわ、私わかっているの、それは私のほうよ。あんたは私の頭の中に死をそそぎこんだのよ。そのままもう絶対出て行きはしないわ」
………子供の頃の私は太陽が好きだった。目を閉じ、瞼を通して見ると真赤だった。太陽は恐ろしかった。それは爆発を思い起こさせた。まるで陽光が爆発し、人を殺しているとでもいうように、舗石の上を流れる血ぐらい太陽然としたものがほかにあっただろうか。この不透明な夜の中にあって私は光に酔っていた。…………私の目は、現に私の頭上に輝く星々の中にではなく、真昼の空の青みの中をたゆたっていた。私は目を閉じ、この輝く青みの中にとけこんだ。………