ピエール・バイヤール「アクロイドを殺したのはだれか」



アガサ・クリスティーがミステリの正統派だと評されているのを聞くと、わたしは未だに困惑する。そう言うには彼女は奇抜すぎると思うのだ。
一般的に、ミステリの最後で暴かれる犯人は必ず、そのミステリの読者が想像もしなかった登場人物である。しかしクリスティーのミステリは、そこからもう一歩読者の内面に踏み込む。彼女の作品で暴かれる犯人は、そのミステリを読む前ですら読者が想像もしなかったであろう犯人「像」を持つのだ。彼女は、ある一つの物語の中で読者の予想の裏をかくばかりではなく、蓄積された読書経験で培われた、読者の固定観念をも打ちのめす。そういう作品があまりにも多い。わたしたちに直接挑戦状を叩き付けてくるのだ。その作品に属さない経験すら持ちうるわたしたちに。でもだからこそ、精神分析医バイヤールがクリスティーを題材に選んだのに十分な意図を感じられる。
この本は、クリスティーの「アクロイド殺し」を題材にとり、精神分析学的に見たミステリ、その登場人物、作品「アクロイド殺し」、名探偵ポアロ、を論じ、その上で十分にありえる「真犯人」を名指ししている。本文は、「アクロイド殺し」の読み込みと、精神分析的な論述を交互に繰り返して、テンポ良く飽きることがない。精神分析学が、ソポクレス「オイディプス」・シェイクスピアハムレット」・ポー「盗まれた手紙」という3つのミステリ仕立ての物語を出発点にしているという指摘は鋭い。また、ポアロの論理破綻を暴いた部分は見事だ。そして何より、バイヤールが指摘した真犯人というのは十分にありうる、と納得させられる。論理的にも無理はなく(というより、ポアロと同程度の無理しかない)、作品としても非常に魅力的であるような、願わしい犯人なのだ。


ところでこの本には多くのネタバレがあるが、それを避けて読む方法を以下に記すので、これから読む人は参考にされたし。
・以下3作品はあらすじも仕掛けも犯人も曝されているが、論述の要なので避けて読むことができない。
アクロイド殺し」「終りなき夜」「カーテン」
・以下は分析上の分類を行う都合で、仕掛けもしくは犯人が曝されている。指定ページを避けて読めば良し。本全体の理解はさほど妨げられない。
47P〜59P:「動く指」「象は忘れない」「葬儀を終えて」「ゼロ時間へ」「ナイルに死す」「白昼の悪魔」「ねじれた家」「ハロウィーン・パーティ」「ひらいたトランプ」「パディントン発四時五〇分」「蒼ざめた馬」「ポアロのクリスマス」「チムニーズ館の秘密」「そして誰もいなくなった」「邪悪の家」「死が最後にやってくる」「予告殺人」「ABC殺人事件」「秘密機関」「三幕の悲劇」「ポケットにライ麦を」「シタフォードの謎」「雲をつかむ死」「複数の時計」「スタイルズ荘の怪事件」「ゼロ時間へ」「検察側の証人」「ホロー荘の殺人」「ナイルに死す」「牧師館の殺人」
132P:「五匹の子豚」


むしろ、「オリエント急行殺人事件」に一度も触れてないのに驚いた。あれもクリスティーらしい特殊さはかなりのものだと思うけど。この本貸してくれた人は相当ブッキッシュな人だけど、「オリエント急行殺人事件」の犯人まだ知らないらしくって驚いた。ミステリファンにはホント、告げないことのcourtesyがあるよね。