フラナリー・オコナー「フラナリー・オコナー全短篇(下)」



短篇集(上)は「A Good Man Is Hard to Find」を中心に、信仰の不在をモティーフとした作品が集められていたけど、(下)は「Everything That Rises Must Converge」を中心に、自意識の崩壊を扱ったものが多い。


「すべて上昇するものは一点に集まる」は、黒人(奴隷)に対して親切に振る舞い、息子を一流に育て上げたと自負する中年女性と、それを疎ましく思う息子の話。息子は彼女の自負をへしおってやりたい一心。ある日一緒に乗ったバスに、黒人女性が乗車してくる。母親と全く同じ帽子をかぶった女性。息子は母親と黒人が同列に並んだことに狂喜するが、母親はなかなか動じてくれない。彼女は下車直後、黒人女性の子供にコインを恵んでやろうとするが、拒絶されはねのけられる。それを機に息子は一気に母親の自意識を打ち砕きにかかるが、母親はもはや、奴隷制の残る過去の南部へと精神を退行させていくだけだった。
「長引く悪寒」は、ニューヨークで作家をめざした若い男が病を得て、田舎の実家で療養する話。彼は自分が高い知性を持っていると自負し、農園経営のあれこれくだらない事を話しかける母親を嫌悪する。病状は次第に悪化して彼は死が迫っていることを悟るが、それまでに何ら「頂点に達するような華々しい経験」が訪れないことに絶望する。そして最後には、彼が軽蔑していた田舎の医師の検査によって、彼の病気は単なる感染症だと判明し、彼は、この平凡きわまりない人生が延々と続くことに気がついてしまった。
登場人物はみな一様に脆弱で醜い。自分が善意の人である、あるいは自分は知性の人である、という自意識は常に、描き出される人物像より過剰であって、いつ決壊してもおかしくない。それを見つめるオコナーの視線は冷酷きわまりなくて、でも多分彼女は、そういう自意識の中に人間の尊厳を見いだしてるんだろうと思う。傍目で見れば醜悪な自意識も、当人はそれをよすがに自分を立て直し続ける、そういうものが決定的に打ち砕かれたときに、きちんと立つだけの体力をもつ人がどれだけいることか。