多木浩二「建築家・篠原一男」



篠原一男が亡くなったという報せを目にしたのは、六本木で呑気に黒豆コーヒーを啜りながら、ビル外壁のミラーガラスに映った電光掲示板のヘッドニュースをツラツラと眺めていたときだった。あんまりの突然さに泣いた、何故か涙が出たという感覚のほうが近いかもしれない。たぶん私は彼の孫弟子か曾孫弟子かぐらいは名乗ってもいいはずで、それは単なる人脈レベルの話でも然りだけれど、彼の「建築する」という行為の中にあった美学を、建築実務の中でずいぶん学ばされたからでもある。矩計図が最もよく彼の美学をあらわしていた。建築全体の特徴をあぶり出す位置で建物を縦に切断し、断面線から細線までを整然と秩序付け、垂木や根太のピッチも建材の規格寸法と図面上美しく調和する寸法とをかんがみて割り付けられ、断熱材のパターンを図面上で見て最も美しい間隔で描く。寸法線や引き出し線も美しく揃えて書く。また、木枠や巾木の見付とチリの寸法は好んで使われるものが既にあり、枠廻詳細図も兼ねることができるように描かれた。そこには、「住宅は芸術である」と言い切る彼の、建築するという行為そのものの中に見いだした美学が露出していた。美学的な観点から眺めたときに、建築の計画と実現とがここまで一貫しているということは奇跡だ。建てるための道具でしかないはずの図面にも彼の美学があり、壁の表面を背後で支える細かな部材にも彼の美学がある。彼は建築全体を覆い尽くす、信じ難い巨人だった。
ところが「篠原はきむずかしい」というのは彼を知る誰もが口にする評価で、その性格が彼の建築活動の上に多くの影を落としたことは否めないのらしい。それは言論活動に於いてさえも然り、書中で多木も篠原に対する葛藤を隠していない。篠原と多木の関係は、互いへの反発と賞賛を含む複雑なもので、それを読み取ることができるのが、この本を一読の価値ありと判断できる根拠だ。
また、篠原の建築には幾何学的なものが多いから、いわゆる建築写真、という撮り方をするとおさまりが良すぎて、彼の思い描く空間を表現することが難しかったのかもしれない。書中の多木との対話と、多木の撮影した写真を見て、腑に落ちた。