梨木香歩「沼地のある森を抜けて」



友人が梨木はよく読むかもと言っていたので手にとりました。なので、語り手の女性と話中の友人男性とを妙に私と彼に投影しちゃっていけません。男に興味の薄い理性的に振る舞おうとするキャリア女性と、男性性に嫌気がさして中性的である研究者肌の男性なんですが。そこそこの類似はありますね。イヤ、私は男の人はとても好きだし感性が重視される仕事をしているので、多くの点で彼女とは隔たっているけど。でも、そうやって何とか語り手と自分とを切り離そうと悪あがきするあたりが更に不本意。これだから女性作家の女性作家らしい作品読むのにはとても警戒してしまうのだ、こうやって格闘が始まっちゃうから!世間の人々はなぜ共感を美徳だと思ってるのだろう。わたしは、例えば島本理生ナラタージュ」の最後の十数ページだけ立ち読みして涙出た←ほんとに出た。彼女はほんと上手い)ということが情けなくて仕方ない。「わかる〜」はいいことだと思うけど、それに作品評価が委ねられてしまいがちなのが嫌。
で、立ち直りますが、わたしはストーリーの前半の「女系に伝わるぬか床の中から、人間が生まれてくる」というのがおどろおどろしくて結構好きです。ドラえもんみたいに無味乾燥にはいかなくて、壺の中では生きた菌がうごめいていて、脳味噌をひっかきまわすような手入れを朝晩してやらないと不機嫌になるというのが楽しい感じ。ぬか床にいつの間にかできた卵からフリオやカッサンドラが出て来て、主人公の生活をひっかき乱すのが面白くて、しかも彼女のそのときの状態に関わるようなものが出てきたりして、このままオムニバス形式で何話でも読み続けたいところ。
ただ梨木さんやっぱりモダンの人だ、ストーリーは律儀にもぬか床の由来にまで遡り、最後にはある生死観が開陳される。何か、何か、でもココが私にはいらない。ザムザが毒虫になった理由をストーリーの中で追求して何になるというんだ。