港千尋「映像論」



ミナトさんの文章は以前からあちこちで読んでいてすごく好きで、「映像論」やっぱり主著だし読もう読もうと思っていてようやく。写真家としての?感性的な描写や、史実に基づいた稠密な論、レトリックの巧みさ、広範な知識、などなどミナト節炸裂。すばらしい。写真、映画、テレビ、そしてデジタル化という映像の歴史を通して、見ることと見られることがどう変容してきたか概観し、技術的な側面から脱してデジタルならではの表現の萌芽が見られるまさに今、どう映像の世界を生きるかということを考察している。内容はベケットあり心霊写真ありショアーありで、映像の変容がもっとも優れて現れているような事件を選んで論じてます。


目下わたしが忌避してる、監視都市の問題にもちゃんと触れてる。←建築の人は逃げてはいけません。ベンサムの「パノプティコン」は、放射状に配置された独房の焦点に監視小屋を置いた施設図なのだけど、この装置のキモは、監視小屋に監視員がいなくても、収容者側が監視員の亡霊をそこに見て行動を自制してしまうという点。これを犯罪者処罰にあてはめてるのがおもしろい。(フーコーを噛み砕いただけ?)犯罪者は彼らの罪のために罰を受けているのではなく、他人のフィクションとしての罪を引き受けて罰を受けているのだということ。確かに、罪に対して実際に罰が与えられた、ということは公開されない限りは何の意味もない。少なくとも立法社会では。復讐するとか、そんなんなら別だけど。
例えば死刑という罰は、それを与えちゃった途端犯罪者本人にはもうどうでもいい話だ。だって死んでるから。死刑制度についてわたしが気持ち悪さを感じるのはたぶんこの辺なんだと思う。理念的には犯罪者は自分の犯した罪のために死ぬのに、実際は他の人たちの罪意識のために殺されるから。そして、犯罪者本人にとっては、全然タメにならない。(その懲罰体験を生かしようがない。)
あとこの本読んではじめて気付いたけど、海外ではやってる「ビッグ・ブラザー」(「あいのり」みたいなテレビ番組)って、オーウェルの「1984年」の<どこかからわたしたちを監視している権力者>から名前とってるんですかね?エンタテイメントなのに何もそんなゾッとするタイトル付けなくても。怖いです。あとついでですが、アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」でよく出てくる、学校内の廊下風景を描写する、監視カメラ視点から見た俯瞰パース、あれも怖いです。誰が見てんの!宇宙人か未来人か超能力者ですか?それとも、ハルヒの世界をパラレルワールドから眺める、わたしたちの視点とかいうホラー。
エピローグでの、盲人の写真家が撮影したポートレイトでは、人々がみな微妙な表情をしている、というのもおもしろい。不在の視線の前に、どの眼差しに対して対話すればいいか判らないと。これ、デリダが「触覚」で言ってた「暗闇での眼差し」のことだ。誰かが実際にこっちを見ているかどうかは視線が合う、見つめあうことによってでしか確認できないけれど、眼差しに触れられていると感じる経験もまた別に存在してて、それは奇妙に、自分の感覚を浸食されたふうに思える。


ダイアログ・イン・ザ・ダーク」行こうと思います。本書中でミナトさんオススメ。ほんっとーに真の真っ暗闇の中を(視覚障害者のガイドのもと)歩く、というイベントで、9月〜12月、赤坂で開催。http://www.dialoginthedark.com/