ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ(4)」



何をここにメモしておいたらいいのか、むつかしい…。
ひとまず思ったのは、パスティーシュや文体の戯れが非常に多いから、日本語訳には翻訳者の意図が多分に含まれているという了解をしなくてはいけないだろうと。おそらく、現代的な視点から眺めた作品解釈というのがなされているはずだ。その上ですら、ジョイスがこの作品で行っている様々な実践が現代文学に与えた影響というのは計り知れないんだな、というのが具体的な例としてあれもこれも、とにかくこの先行ぶりにほとほと感心させられて、ああこの辺も近代文学の双璧といわれる所以なんだろうと思った。
最も興味深いのは、主人公ブルームの意識を多面的にあぶり出している点。キュビスムを想像させられる。ブルームは中年の冴えない寝取られ男に過ぎなくて、しかもその情けなさ加減が容赦なく表現されていく。例えば、彼がダブリン内を徘徊するシーンでは、意識の移り変わりを垂れ流し状態で描写され、彼が歩きながら、近づいてくる女性に興奮したり馬券を気にしたり石鹸が匂ったり昔の葬式を思い出したりご近所さんに下世話な想像を働かせたりするのが、もう気が散り過ぎだよというくらいに描かれて。また例えば、泥酔した彼は、現実の世界、ダブリンの売春街で起こっていることの僅かを、彼が皇帝即位するくらいまでに拡大して、虚実の見境なく大風呂敷を広げまくる。と、その一方で、ブルームの奥方の句読点を含まない読経のような内省や、仮想的な第三者による自問自答形式によって、全く異なった視点からブルームを見るような章も用意されていて、多分これは、彼の意識空間を彼一人だけの内部で納めず、拡張させているということなんだろう。うーん現代的。ああそう、ディーダラスも、おそらくはブルームの何かを表現するために登場してるのだろうけど、何だろうか、特定できないな…、ブルームはディーダラスに彼の亡くなった息子の面影を重ねてるから、或る種の分身というか鏡像なんだろうけど…、ブルームの腐りかけた教養や崩れた身体に対して、まだ若々しさを保っていた頃のそれらへの羨望とか、そんなものの代理なんだろうか。


丁度1ヶ月で読了か。いろいろ並走させたわりには早かった。さて「エクリ」に戻りましょう。←ラカンを今年出た英訳版コンプリートエディションで読み中。きっつ…。