仲俣暁生/舞城王太郎/愛媛川十三「「鍵のかかった部屋」をいかに解体するか」



鍵のかかった部屋」はポール・オースターの小説タイトルで私は未読なんですが、あーこーいうメタミステリなんだ、ということがこの本読んでて判ってしまったんですがそれはいいのでしょうか。まあいっか。多分読まない。オースターちょっとぬるいし。…というこのぬるさの感覚、柴田元幸村上春樹のあの辺の群れに漂ってる温度だ。微熱少年?かつての青春、かつての青春小説。青臭い情熱的な青春(舞城くん曰く石原慎太郎)を脱構築することで誕生した、儚い微妙な上気。それはもう、わたしたちにとっては乗り越えられるべき青春に成り果てたはずだ。
あの群れが行った脱構築とは、ミステリ的メタ構造を使って小説の成立点そのものを問うこと。で仲俣さんはさらに、新しい小説を手に入れるために、あのぬるい青春小説を解体せよ、そのための方法を呈示する、として論を結んでます。それに応えてるのが本書収録の舞城くんの小説です。
彼が行っている、小説の構造的な転換というと…、ひとつめの「僕のお腹の中からはたぶん『金閣寺』が出てくる。」は、ストーリー上生まれるある仮想(設定)を次々に否定していくことをしていて、ふたつめの「私たちは素晴らしい愛の愛の愛の愛の愛の愛の愛の中にいる。」は、メタ構造のメタのメタのメタの…を行ってます。脱構築の残した立脚点の曖昧な不安定さ、だけでなく、構造の破壊が地滑り的に起き続けていて、その波に乗ってるのが楽しくて仕方ありません。舞城批評の常套句でいうと、「ドライブ感」。
舞城くんは愛媛川十三という名義で、文学(文楽)論もひとつ寄稿してるのですが、ほんと、まっとうで正論で、きわめて王道なマニフェストです。ストレートすぎて気持ちいい。仲俣さん完全に彼に食われてるのではないでしょうか。