「未来」2007年6月号(No.489)



田中純さんの「残像のなかの建築」が復刊、サンクスです。


「宗教とグローバリゼーション」フリードリヒ・ヴィルヘルム・グラーフ
人間の経済活動と宗教的精神との関連を論じるもの、マックス・ヴェーバーに代表されるような分野、どうしても理解しがたい。プロテスタントと資本主義、儒教権威主義、これらを関係づけると思われる性質を抽出するその仕方があまりに作為的すぎるように思えて。まあただのエッセーです、ていうんなら無問題なんだけど。
たぶん思考が生き生きと息づく、アクチュアルであるためには、ある程度の実感が伴わなければならないんじゃないだろうか?例えば、日本人である私が「オリエンタリズム」を読んだときにそれが説得力を持ったのはおそらく、西洋にとってのアラブが、日本にとっての韓国でもありえるからで。無宗教者がヴェーバーの類いをより理解したいのであれば、代弁可能な例をさがしたほうがいいかもしれない。日常に於いて、私や私の周りの人たちから何らかの宗教的特質を感じることなんてまず無い(せいぜい近隣の外国人が平日も平気でJewishHolidayをとるのにはっとするくらいだ)。
…それとも、理論の筋を正しく追えてれば実感なんてなくてもOK、というのは人文思想系の本にも成立するんだろうか?よく考えてみると、小説などフィクションの類いの殆どは、共感まるで無しでも読んでて楽しいんだけど。