モーリス・ブランショ「死の宣告」



河出書房新社「河出海外小説選21」1981年再版で読んだ。訳は三輪秀彦。収録は「死の宣告」「永遠の繰言(牧歌、窮極の言葉)」。絶版だが、下の書籍に全編収録されている模様。
表題の作とても良かった、文学的に傑作かと言われると多分違うんだけれど、好きでした。語り手の回想するままに紡がれた物語りのような形。生死を彷徨う女性の死への諦観や生への執念が、その生死の淵をも動かしているように感じられて、閾がこれまでになく曖昧に感じさせられました。しかも、アガンベンが言うような客体的なものではなく、各個体の内面的なレヴェルに於いて、死の定義、あるいは死の瞬間にズレが生じているような感覚。現実なのか想念なのかすらが曖昧で、安易に意味付けられることが拒絶されるような事態の訪れ。
あと個人的に特筆すべきなのは、話中で語られる部屋のイメージが、薄暗い室内、窓からの光による逆光を感じさせるもの、が映像として強く感じさせられ、目くらましに会ったような勢い、語り手と死にゆく女性との間に横たわる、空間が掴みがたく歪み計測から逃げ出そうとするような感覚、つまりは空間としての距離感が伸縮するような様、或いは時間としての距離感すらも伸縮せられるような感覚、停止しゆく時間と進行する時間との位相のズレ、進行尺度の相違というようなものまで感じさせられてしまったことの衝撃。
ブランショ亡くなってまだ浅い…ブランショ哲学に関しては無知極まりなく、小説に関しても浅い理解しかできてそうにないけど、そういう恣意膨張するような時空の距離感が批評のほうにも見られたらさぞや興あることだろう?
(ホロ酔いでかいてます、後で読み直そう…)