ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟(中)〜(下)」



小説というよりは登場人物に仮託したドストエフスキーの告解を聞いてる気分ナリ。ある特定の個人の中にひそむ錯綜した思想の吐露というか…分裂気味な自分の思考をめいっぱい喋りまくるために用意された人物の布陣に見えるのだよ。だからこそ、全編、ストーリーを追いかける部分よりも遥かに挿話の部分の分量が多い。
ナンシーさんもオコナーもドスも神の存在てものを単純否定も単純肯定もしない。絶対的な存在だとはみなされないものの何らかの価値がみとめられ、そのくせ信用ならなかったり延々と私たちの手をすり抜けたり、いくぶん卑怯な神の姿として描かれているように見える。読む本偏り過ぎかな?
ところでこの本、評価する人があまりにも多いが、万人に支持されるということとある個人にとっての最高の読書体験になるということとは話が別だ。やはりそれは読む時期や読む人に依るものなんだろう。「東大教官が新入生に薦める」本という位置づけがなんとなく理解できた。で、金原ひとみさんに倣ってこう言っとこう、私はイワンみたいな人が好きなんだよ!