「未来」2006年6月号(No.477)



4月に来日していたJean-Luc Nancyの特集号。
港千尋さん相変わらずすてきです。近代以前の絵画は宗教のモティーフを直喩にも隠喩にも用いていて、描かれたものすべてに特定の意味を込めていた。それを、接触という全く異なる媒介を経て読み取ること。また、常に別の次元へと拡張されながら再帰される接触のイメージなど。…「「「触れよう」と欲してはならない」と考えてはいけない」と意識してはいけない」と無意識にも思ってはならない」…というのと同じような方法で、レンブラントの手はイエスに触れようとするマグダラのマリアの手とへと遡ろうとしたに違いない。そしてナンシーも。
あとナンシーさんの講演録を読んで思うこと。神の存在が証明されれば哲学なんて用無しだとは思うのだが、存在論的思考というのは神がいないこと(無神論)を前提として行われる、というのは正なのかな?哲学が神の死を宣言するのはトートロジーですか?神の存在を証明しようとする動き=自らを否定しかねない思考から新しい止揚が始まるのでしょうか?