舞城王太郎「イキルキス」



以下3編収録。
・イキルキス
・鼻クソご飯
・パッキャラ魔道←「クラリネットをこわしちゃった」の後半部分の精神です


表題作で、福島学14歳が好きな女の子と倉に2人きりになる描写がおもしろい。まじかよーという思いで頭がクラクラしながら、大人になってくのですよね。信じられないことに、全大人が。梅佳代の撮る小学生男子とおんなじで、あーこんな男の子ってファンタジーかと思ってたけど実際いるんだー!と思いたい。


入り口に両手をかけてぐぐっと上半身を乗り出した八木智佳子の顔が僕の胸のすぐそばにある。
す・ご・い。
女子とこんなに近づいたのは始めてだ。
なんだか女子って髪の毛がやたら綺麗だってこれまで思ったこともないことを思う。あと、何かいい匂いがする。それに肩とか腕とか細くて小さい。本郷とか隆司とかとは全然違う。なんて言うか、シルエットが全然違う。それに、やたら柔らかそうで、体つきがしなやかだ。
やばい。いろんなところ触ってもんで、もみくちゃにしてからいろんなふうに折り曲げてのばしてぐるぐるにして、そんでべろべろべろべろ舐めてからちんちんこすりつけたい。やっぱり写真とかテレビで見る女の子とかと違って体温があって呼吸していて匂いがあってワオー!
ってのをだーっと考えてる間に僕は手を出している。何か知らないけど、僕は八木智佳子にいきなりヘッドロックをかけている。(p.39)
……
「ちょっとー」と言いながら八木が僕の手を胸からどかそうとするけれど、八木の顔に笑みがあるうちは離さないぞ。女の子のおっぱいを触った。それもかわいい子の。それも八木智佳子の。という順番でまた感動して、それってどうなのよという反省が浮かぶけど後回しにする。(p.65)


自分の感じてることをうまく言語化できなくなると、なんかもう非論理的な行動にでてしまうことがあると思う。幼児でもそうだし、たぶん少年でもそうだ。舞城は、人物が思ったことをぜんぶ言語化して描写していくから、その言語化できない臨界点というのがはっきりと物語の中で見えてくる。
そういう臨界点って、大人でもありうるのかな。ここ数年でずいぶん言語を得たような気がするが、それが理由なんだろうか、「動じない人」というふうに周囲から見られているようだ。