港千尋「文字の母たち Le Voyage Typographique」
津田塾大学で開催されていた写真展「文字の母たち〜活字の旅とその記憶」を見た。
活版印刷の工程や道具、それに携わる人たちをおさめた写真集。当たり前のことなんだが、本を開いて見るページには、組版としてのオス型、活字の原型としてのメス型が揃っていたという過去に驚いてしまう。特に、文字数が半端なく多い日本語で。
昔、自宅で父が、ガリ版刷りでハンドアウトを作っていたのを懐かしく思い出す。
文字の表意性とか絶対数とか発音とか、とにかく伝達効率だけを評価基準にするならば、ハングルがいちばん優秀な言語なんだと聞いたことがあった。でも多分この評価基準はやや旧くて、活字的な文化の枠組みの中で生きる考え方のような気がした。活版印刷の成立とハングルの成立って、そういえば同じ頃だ。
一時期話題になったが、英語が今後は他の言語を滅ぼすだろうという予想には、現在趨勢であるという以上の理由づけは与えられているのだろうか?技術が更新されるたび、言語のありかたは変わっていくし、その時代に最適である言語も変わっていくように思う。
友人の自宅に行って本棚に白川静があると可笑しくなってしまう。読書が好きであるばかりか、本そのもの文字そのものを好きになってしまった人たち。そんな人のひとりから、活版文字を頂戴したことがある。「これで勝負」って組んである。