ヴァルター・ベンヤミン「ベンヤミン・コレクション(3)記憶への旅」

Walter Benjamin「One Way Street, Berlin Childhood Around 1900 and Other Writings」


民間の言い伝えのひとつに、夢を朝食前の空腹のときに語ってはいけない、というのがある。……この心身状態においては、夢について報告することは由々しき結果をもたらす。なぜなら人間は、半ばはまだ夢の世界と結託しつつ、自分の言葉のなかで、夢の世界を裏切るのであって、この世界からの復讐を覚悟しなければならないのだから。もっと近代風の言い方をすれば、人間は自分自身を裏切るのだ。夢見るナイーヴさの保護からは抜け出していて、そして自分のさまざまな夢に、余裕をもたないまま触れることによって、我が身を晒しものにしてしまう。……(「一方通行路」より「朝食室」、p.20)


委員会では、どうやって候補者を判別するのかということがさかんに議論されていた。候補者たちは募集条件どおりに皆、過去に未来の自分と会ったことがあると主張していたが、そのことばが本当か嘘かを判別することは難しい。漸く完成したタイムマシンは理論上、操縦者が実際に存在しているまさにその時空間にしか赴くことができなかった。候補者のうちの誰を操縦者に任命するかによって、その実験の成功率はおおきく揺らぐかもしれない。……紛糾する委員会から次第に意識が後退して、わたしは夢から醒めた。


光。モンティセリの絵のなかで、八百屋の店先に溢れている光は、彼が生まれたこの町の内奥にある街路に由来する。この単色の住宅街に古くから住んでいる人びとは、マルセイユの悲しさについて、なにがしか分かっている。というのも、幼年時代こそが、憂いの源泉を発見するのであり、そして、あれほど名声にみちて輝く諸都市のもつ悲哀を知るためには、子供の頃をそれらの町で過ごしていなければならないのだから。旅行者には、ロンシャン大通りの灰色の家屋も、ピュジェ通りの窓格子も、メヤン並木通りの樹木も、何ひとつ秘密を打ち明けないだろう。ただし、偶然が旅行者を導いて、この町の霊安室であるパサージュ・ド・ロレット、細長い中庭になっている通路に導けば話は別だ。そこでは、何人かの男女の眠たげな目の前で、全世界がたったひとつの午後に収縮する。ある不動産会社は、社名を正面入口に刻みこんでいる。この内空間(Binnenraum)は、杭で固定された白い謎の船に、正確に対応するのではないか。──あの<航海>丸は、決して海に出ることはなく、その代わり毎日、白いテーブルクロスの掛かったテーブルに、あまりにも清潔すぎる、洗浄されたような料理を出して、旅人たちをもてなすのだ。(「都市の肖像」より「マルセイユ」、p.245)


わたしたちはしきりに、自分が指差しているまさにその方向にこそ太陽があるのだと主張して、どちらも譲らなかった。小学校へ行くには水田地帯を一直線に通り抜けるのだけれど、早春の晴れた日の夕方、見渡す限りに水面が広がっていた。自分の指差す水面には太陽の光が塊となってぎらぎらと反映し、自分が走ると光の塊も正確に、水田の畝をまたぎながらわたしについてきたのだ。


彫像たち。……これらすべての彫像を集め、自分のまわりに所蔵した男のことを思い浮かべてみる。国々をめぐり、四方の海を超えて、これらの彫像を探し求めた男のことを。彼には分かっていた、この彫像たちは彼のもとでのみ、彼はこの彫像たちのもとでのみ、安らぎを見出せるのだ、と。造形芸術の愛好家、というのではない。そのような人物ではなく、ひとりの旅人、まだ故郷に幸福を見出しえたときに遠方に幸福を探し求め、そののちに、遥かな航海の苦難に最も痛めつけられたこれらの彫像たちの傍らを、みずからの故郷とした旅人だった。彫像たちは皆、顔を塩辛い涙に風化させ、潰れた木の穴からまなざしを上方に向け、腕は、まだ残っている場合には、哀願するように胸のうえで十字に組み合わされている。……(「都市の肖像」より「北方の海」、p.264)


戻ることのできない場所への憧憬にとらわれる前に、予防接種をしておこう、とベンヤミンは思った。そのワクチンは弱毒性の郷愁で、しかも集団の記憶として接種されることが好ましかった。


それとも、私の心が操を通したのは、もっと古い、いくら探しても見つけられなかった本に対してだったのだろうか?つまり、ただ一度だけ夢のなかで再会することができた、あの不思議な本たちに?何という題名の本だったか?私に分かっていたのは、ただ、どうしても二度と見つけ出せなかったものこそ、あのずっと昔に消え失せてしまった本たちだ、ということだけだった。……夢のなかでは、それは昔からよく知っている戸棚のように見えた。それらの本は立てられていたのではなく、横に寝かされて積まれていた。それも、戸棚の悪天候区域に。その本たちのなかは、荒れ模様になりそうな雲行きだった。それらのどれか一冊でも開いていたら、私は、暗鬱ながらさまざまな色彩を孕んで千変万化する物語が厚い雲に被われている世界の、その真っ只中に引き込まれていたことだろう。その色彩は滾ったかと思えばさっと変わるのだったが、いつもそれは、屠殺された動物の内臓に染められたかのごとき菫色になった。(「1900年頃のベルリンの幼年時代」より「幼年期の本」、p.504)


北側に面していて窓のない、いつも薄暗く寒い部屋に、グノームが棲まっている一隅があった。背の高い本棚のいちばん下の段に美術全集がずらりと並んでいて、彼が棲まっていると知ってしまった巻を、わたしは二度とひらくことができなかった。その巻があるということを意識してしまうのすら怖くて、なぜなら彼がこちらに気づいて襲いかかってきそうだと思ったから、わたしはいつもしらんぷりをして彼をやりすごしていた。
ひさしぶりに彼に再会したのは明るい光のなかで、周りにはたくさんの人がいた。彼はサトゥルヌスだと紹介されていた。でも彼に魂を与えたのはゴヤではなく、あの薄暗くて寒い部屋だったと思ったけれど。


……いずれにせよ、人びとの往き来する街路で娼婦に声をかけることに無類の魅力を覚えたのは、疑いもなく、母と、そして母や私が属している階級と手を切るのだという──残念ながら偽りの──感情のせいだったのだ。実際に声をかけるまで何時間もかかることがあった。……私はその場から逃げ去っては、その同じ夜に──さらに何度やったことか──この無謀な試みをまた繰り返すのだった。それから、もう明け方になっていることもたびたびだったが、ついに諦めてとある門道に立ち止まったとき、私はとっくに、街路というアスファルトの帯に絶望的に搦めとられてしまっていた。そして、それを解いて私を自由にしてくれたのは、最も汚れなき手というわけにはいかなかった。(「1900年頃のベルリンの幼年時代」より「乞食と娼婦」、p.629)


以下収録
・アゲシラウス・サンタンデル
・一方通行路
・都市の肖像(ナポリ/モスクワ/ヴァイマル/パリ/マルセイユ/サン・ジャミニャーノ/北方の海)
・ドイツの人々
・1900年頃のベルリンの幼年時代




09.11.12追記


ある人間をよく知っているのは、その人に希望なき恋をしている者ただひとり。(「一方通行路」より「アーク灯」、p.84)


ゼラニウム。愛しあっている二人は、何にもまして、自分たちの名前をいとおしく思う。
カルトジオなでしこ。恋する者にとって、恋しい人は、いつも孤独であるように見える。
つるぼらん。愛される者の背後では、性の深淵も家族の深淵も閉じてしまう。
サボテンの花。ほんとうに愛している者は、恋人が口論のときに不当なことを言うと、うれしくなる。
忘れな草追想のなかでは、恋人は縮小されて見えるのがつねである。
観葉植物。二人の和にしこりが生じると、とたんに空想が働き、年をとって、もはや望むこともなく、いっしょに暮らしているさまが目に浮かぶ。
(「一方通行路」より「ロッジア」、p.84)