ヘルタ・ミュラー「狙われたキツネ」

Herta Müller「Der Fuchs war damals schon der Jäger」


ある日の午後、にわか雨が上がった後の中庭でのことだった。熱のこもったままの敷石の隙間を黒いアリの行列が這いまわっていた。アディーナは、砂糖水を流し込んだ柔らかい透明な管を敷石の隙間に置いた。アリの行列は管の中に入り込んだ。頭を見せているものもいれば、腹を見せているものもいる。アディーナはマッチをすって管の両端を溶かして輪っかにし、それを首にかけた。そのまま鏡を見にいくと、まるでその首飾りが生きているように見えた。実際には、アリたちは砂糖にくっついたまま窒息死していたのだが。
この首飾りのなかに閉じ込められて初めて、一匹一匹のアリは人間の目にも生きものに見えるのだった。(p.21)


日常のささいな、でも不気味なことから、生活は静かにすべりだす。街の高いビルの屋上に植えられた樹々、その影はナイフとなって眼下の住人たちを切りさいて伸びていく。停電のたびに訪れる漆黒の夜には、彼らはペンライトを片手に移動していた。鍛冶屋の男が自殺するとすぐに、彼の店からは金目のものから無くなっていった。工場勤務の女たちは競って管理者の男に股を開き、支給品の便宜を図ってもらおうと必死だった。住人たちはお互いに監視しあった。隣に住む者が何を食べ何を言い、いつどこへ外出したのか?独裁政権下にばらまかれた秘密警察の協力者たちの監視は、アディーナにも及んでいた。彼女は少女の頃から今にいたるまで、先行きの暗い明日だけを粛々と受け入れてきたのに、彼女のわずかな反抗が十分に監視に値したらしかった。ある日アディーナがひとり住むアパートに戻ると、トイレの水溜めにタバコの吸い殻が浮かんでいた。その後何回も。寝室のクローゼットの前に敷いてあるキツネの敷物は、尻尾、そして四肢、誰かが侵入の形跡を残すごとに切断されていった。彼女がいずれたどるかもしれない運命をほのめかすようにして。彼女は不在のうちに、行動の自由を奪われつつあった。そしてあろうことか実行犯のひとりパヴェルと、アディーナの友人クララは逢瀬を重ねていた。
この物語の舞台は、チャウセスク政権崩壊前夜のルーマニア、ティミショアラ。「この国を世界から遮断してくれるドナウ川があるおかげで、世界はずいぶん幸せな思いをしているんだよ(p.141)」クララの情報によりアディーナはかろうじて虐殺を逃れた。田舎の友人の家に隠れ住んでしばらくして、チャウセスク夫妻が処刑された。農民さながらの姿で横たわる二人がテレビ画面に晒されていた。


「心臓の代わりに、あの人たちは体のなかに墓地をかかえてるんだわ」とアディーナが言った。「あの人たちの頭んなかには、ただ死者ばかりが埋められているんだもの。死者たちはみんな凍ったラズベリーみたいに小さくて赤い血を流しているんだわ」
「やつらを見ると虫酸が走りそうだ。だけどやつらがかわいそうで涙が出てきてしまう。どうしてこんな気持ちになるんだろう?」と問いかけながら、パウルは涙を拭うのだった。
いま二人はひとつ枕に顔を寄せあって眠っている。こんなに近くにいるのに、眠りが二人を決定的に分け隔てている。眠りについた二人を見守るように、軽やかで悲しげな一日がすでに街の向こうで出番を待っている。冬なのに暖かい。だけど冷たくなった死者たちはもう帰らない。アビのキッチンにあった手つかずのグラスを飲み干す者ももういない。(p.344)


画面に冷たく眠る老いさらばえた権力者夫婦も、ここで安全で温かい眠りにつくアディーナとパウルも、どちらもあまりにも卑小すぎて、大きな流れのなかでは哀れに揺らめくだけだった。死の冷たい眠りも、生きた温かい眠りも、どちらも一人だけの孤独な夢に落ち窪んでいく。生きていようが死んでいようが一人なのはわかりきったことだ、ただ大きな流れを漕ぎ渡るためのスタビライザーは、並んで眠る温かい眠りからしか得られない。
男の人は、生涯に剃り落した髭の全重量が自分の目方を超えたら、死ぬんだってよ?そう告げて、地下鉄で並んで座った男のそれをざっと計算してみたら、どうやらあと80年は免れそうだった。女の人は、服が作られるときに出るはぎれの重量の総計なんだって、アディーナは言ってた。わたしのほうが早く死ぬかもしれないね。
2009年ノーベル文学賞受賞者。邦訳はいまのところこの一冊のみらしい。