エウリピデス「エレクトラ」



数年前に新国立劇場で「アルゴス坂の白い家」という劇を見た。その劇は「オレステイア」三部作のパロディで、クリュタイメストラエレクトラの関係を中心にして描かれていた。エレクトラにあたる役柄を小島聖が演じていて、近親相姦的に父親を愛し、肉親である母を嫉妬し憎むような激しい気性を、呆然とするくらい素晴らしく表現していた。あのエレクトラは、エウリピデスエレクトラだったんだなと思う。エウリピデスの描く復讐劇は情に満ちあふれていて極彩色で、まさに感情にあふれた人間のための演劇だ。
エウリピデスにおいては父の仇の復讐劇を仕切っているのは完全にエレクトラオレステスアイギストスの殺害ですら他人のたてた作戦に従って動いただけ、しかも母は殺すことないじゃんとか言い始める。辺境の農夫と結婚させられて(添寝はしてないけど)、辛酸なめながら機が熟すのを待ってたエレクトラとは、そもそも覚悟が違うんだろうな。姉貴に言われていやいや母を殺したのに、いざ殺したら自分のほうに復讐の女神が向かってきたわけだから、たまったもんじゃなかったろう。
オレステスが父の仇アイギストスを殺害しに出発する際にエレクトラは彼にこう声をかける、「それならあんたに、こういうことも考えて、はっきり言っておくわ。アイギストスは死ぬのだということを。もし勝負で、あんたが負けて死ぬようなことがあれば、わたしも死んでしまうの。わたしを生きているなどとは言わせないわ、わたしはその時、胸をもろ刃の剣でつき刺しているでしょうからね。…」「このことで、あんたは男にならなければならないのよ。…」
アイギストスの死体を持ち帰ったオレステスに対してこう言う、「はずかしめを与えてやりたいの、この死体。…」「…わたしを破滅させたのはお前だ。大切なお父さまを奪って、わたしと弟を孤児にしてしまったのもお前だ。…そしてはずかしい仕方で、お前はわたしたちの母と結婚したのだ。…お前はトロイアの戦いに行きもしなかったではないか。またお前の馬鹿さ加減はどうだ。お前はわたしの母と結婚して、わたしの父の床を汚しながら、自分の迎えた妻が将来よい妻であることを期待しているが、それこそ馬鹿というものだ。…それにお前は、アルゴス中でみんなに言われていたのだ、あの女の男だと、しかも女の方は、男のそれとは呼ばれなかったのだ。…」
母を殺すことに躊躇しはじめたオレステス、「いやだ。だって、どうして殺せよう、ぼくを生み、ぼくを養ってくれた、その人を。」「今からは、母殺しの罪を問われることになるでしょう、今日この時までは汚れのない身だったのに。」エレクトラ「臆病風にふかれて、男らしさをなくしてしまうなんて、そんなこと許せないわ。…」
母に対する捨て台詞、「…あの世へ行っても、この世でいっしょだった男に添えるようにして上げるわ。これがわたしのあなたに対する、特別の心づくしということになるでしょう。そしてあんたは、これでわたしにお父さまの仇を討たれたことになるのだわ。」


オイディプスの一連の物語が父を殺し母を犯すのだとすれば、エレクトラのオレステイアは父に愛を捧げて母を殺す物語なんだ。エレクトラオイディプスに比べて無知ではなかったけれど。