西尾維新「きみとぼくが壊した世界」



ラノベです。というよりはラノベの体裁をとった、ジュブナイル向け正統派ミステリィかな?良質なSFである「涼宮ハルヒの憂鬱」を読んでも同じハメに陥るんだろうなあと思うけど、萌えやキャラ立てを軽くこなせるほど鍛錬してないからいちいち蹴つまづくし、かと思えばリーダビリティは異様に高いので大事な箇所もするする読み飛ばしちゃうしで、これはこれでなかなか気を遣う。
この小説は、「小説内小説」の入れ子構造の連鎖をつかって書かれていて、ということは小説を語っているところの「一人称語り手」をきちんと肉付けすることがとても大事になってくる。つまり、読者が語り手の視点に十分に同化した段階でないと、実はこれより上位のレイヤが存在してるんです、なんてやっても驚いてはもらえないからだ。この小説はシリーズ第3作目なんだけど、そんなわけで前作前々作よりも、病院坂黒猫ちゃんの内面描写が圧倒的に多い、彼女が本作においては語り手の一人であるがゆえに。ただ、そのことが、彼女の魅力をぐんと軽減させてもいるのだ。彼女は非常に濃厚にキャラ立てされてきていた。保健室登校・頭脳明晰・体力なし・巨乳・容姿端麗・保健室で売春・皮肉屋・情報通・一人称は僕・なぜかブルマー姿・ときどき「にゃん」とか言う…外側から見ると、それらが複合しているさまはミステリアスそのものでしかないんだけど、本作で内面描写を丹念になされたお陰で、ただの中ニ病患者に成り下がってしまった。しかも設定は高校三年生。ていうかこの内面描写で高校三年生って無理があるでしょ常識的に考えて。思考の集約の仕方は年相応だと思うけど、まがりなりにも頭が良いという設定でこの世界観にとどまってんのは未熟すぎ。「世界は不完成で不完全」?アホか。…と冒頭の数ページを読んで半ば絶望しかけましたが後半序々に持ち直してて、もーヒヤヒヤさせないでください。
多分、濃厚なキャラ立てと複雑な心理描写は両立することはできないのだ。東浩紀じゃないけどカテゴライズされ整理され確立されたプロトタイプないしデータベースといった参照元がはっきりしてないと、それはシンボルとしてうまく成立してくれない。複合し複雑になりはじめた途端それはむしろ普通の人物像に見えてしまって、なんだか…この類いの文化としては、うまくないのだ。