ブルーノ・シュルツ「シュルツ全小説」

Bruno Schulz


もしシュルツ自身が狂人ではなかったとしたなら、彼のこの偏執狂的な想像力をどう扱ったらいいんだろう?
収録されている作品には短篇が多いから移動中読むにはうってつけ、ということで、バスを待つ間ゴハンを待つ間メトロに乗ってる間、とぎれとぎれに読み継いでいると、話の本筋がどうだったのかがまったく混乱してくる。暗喩の表現がやたらと多く、かつそのひとつひとつの比喩にかなりの行数を割くため、ストーリーをつないでいく地の文章がとびとびになっていて追いにくい。また、登場人物の存在する世界と、登場人物の空想する世界と、両方ともが奇想天外な幻想で貫かれているので、どちらを主として追っていこうかがわからなくなっていく。一人称と三人称をさほど区分していないために、それらの世界の境界が余計にあいまいになっているようにも見える。でも、その混乱こそが、シュルツの世界に陥落していったしるしだと思う。とにかく空想が半端なく執拗、幻想の世界を創りだして、そこと現実との境界がぼやけたままに遊び尽くすような感じ、なにか物語を紡ぎたいとか、そういう意図は微塵も感じられない。精神病の類型として、自分の妄想と現実とを区別できなくなる症例がよく知られてるけど、シュルツの作品にはそういうのに似た世界観がある。でもシュルツには精神病歴は無いらしく、ただ彼の父親は、長いこと精神病を患った末に狂死したのらしい。「父」はシュルツの多くの短篇作品に描かれる。精神を後退させ、常に何かにとりつかれ、ハエなどへの変身を繰り返すことで何回も何回も家族に彼の死を知らしめ、でもついに決定的には死ぬことのない。もし彼の描くこの狂わしい世界の創造主がその世界そのものへと降り立つならば、それは父の姿としてだ。造物主はしばしば異形の姿で現れる。
シュルツは20世紀前半のポーランドの作家。彼の住んでいた都市ドロホビチは、彼が生まれたときはオーストリア領で、その後ポーランド領、ナチスによる占領、ソ連によるウクライナへの編入、そしてナチスに再占領されていた。彼は街路でナチスの銃弾に倒れた。彼のよき理解者であったデボラ・フォーゲルも彼の死の3ヶ月前に射殺されていて、彼女の本の挿絵画家が彼女一家の射殺死体を囚人労役のさなかに取り片付けている。またさらに、2001年新たに発見されたシュルツの壁画は、ポーランドウクライナ両国の文化担当閣僚の鼻先をついて、イスラエルの国家機関が自国へ持ち去ったそうだ。ポーランドにいたこととユダヤ人であったことが、これほどまで苛烈な運命を与えるとは。
そのことを知らないでいたのは仕方がないけど、知らないでいたことに対して無頓着なのはよくないことだよね。訳者解説で工藤幸雄さん、言葉を尽くして、シュルツを広めようと訴えてる。わたしも微力ながらここで、シュルツ!シュルツ!と連呼することで、工藤さんを追悼いたします。