ミルチャ・エリアーデ「永遠回帰の神話」



マイトレイをあんだけ残酷にふったダメ男がこういう研究をするとはくっそー、と思いますがおもしろいアルケオロジーです。宗教的儀式からその祖型を見いだして、それが担っていた意義を論じてるんだけど、その意義が他のものに転嫁されていくようすを描き出していて、その手際がとても鮮やか。だって、例えばオリエントの宗教の、暦に代表されるような周期説から、マルクスヘーゲル歴史観まで一気に跳躍してるんだよ。すごくない?しかもニーチェにはあんまりツッコミたくないみたいです(笑)。
極東からヨーロッパに至る広い地域で、日常生活や都市計画などに見られる神話の模倣は、人々の現実生活で起こる洪水や飢饉や内紛といったような苦悩に対して、理由付けをした。神の怒り、前世の業。それが不合理ではないからこそ、人々は苦悩を耐え忍ぶことができた。また、そういう祖型の反復は、歴史がその都度棄却され再生されるということによって、人々に安心を与えていた。
エリアーデはこのようなものは「伝統的観念」と言って信仰とは区別している。人類の信仰の獲得は、アブラハムによる子イサクの供犠が最初だと。(ちなみに供犠は神の声によって中止され、代わりに捧げられたのが雄羊です。)一見すると不合理な苦悩を受け入れ神の全能性を信じたことによって、祖型を反復することは意義を失った。ユダヤキリスト教はもはや神の観念を通さずして恐怖と苦悩を耐え忍ぶことができなくなったし、彼らの得る自由の経験は、神の全能性という平面においてのみ可能なものとなった。
エリアーデはこの本で、現代人がヘーゲルマルクスを得て、歴史や進歩に固執する(反復を信用しない)以上は、「キリスト教は現代人の宗教だ」と結論づけている。ただし50年前に。歴史の終焉やポストモダンが言及される前だ。さて、それでは今生きている人は、どうやって恐怖や苦悩を耐えたらいい?神なしでも耐えられる根拠は、なんとしてでも見つけ出さなくちゃいけない。勿論、キリスト教が同時存在してても全然構わないけどね。
ちなみに、今までどおり祖型反復を繰り返すのもアリです。エリアーデはこれを是認していて、キリスト教社会でもごく僅かな知的エリート以外はこうでありやすいと述べています。あと、苦悩なんてないでしょとか言うのは、これだけの量の報道に接してる限りはナシかなと。