J・M・クッツェー「エリザベス・コステロ」



エリザベス・コステロという女性作家が、自分の職業についてその目的や倫理観などを考える遍歴を描いたフィクション。
何らかの結論に辿り着くように書かれる論述よりも小説的で、登場人物の行為によって彼らの考えを読者が推測せねばならない小説よりも論述的で、思考の遍歴は一人称、三人称、他者との対話、自省、本歌取り、他者への手紙、と様々な形で描かれていて、書き手クッツェーと登場人物のコステロと読み手のわたしとの間で、自在に距離感が操られ、様々な形は連携しながらも独立した角度と層とからあるひとつの思考を暴いていて、そのことが、わたしから彼と彼女に対して、深い知性と高い意志とを持った存在として感じさせられて。
おそらくは作家に限らずとも、明瞭な職業意識を持ってそれに従って粛々と生きる訳ではなく、また、自らの職業に対して何ら自意識を持たずに自然に生きることもおそらくできずに、他者との対話を通して、或いは自らの身体感覚、時には苦痛や嫌悪感すら伴うそれによって、千鳥足で生きるしかなくてそのこと自体が自身を苛むような、そんな強烈な思考がまさに発現し。
このことが彼と彼女との間のそれに倣うことになるのであればわたしは喜んで引き受けよう、他者との対話の仮想もしくは反芻によってなされる、それは専ら自省的であり思考の深さを得ようとするための鍛錬。また具体性を重視すること、手を動かして形にしないことと具体例を列挙しないことに対する嫌悪感、に対する嫌悪感を打ち消してバランスするためのものとしての形而上学や思考のための思考、哲学のための哲学。そして自分の思考を公表することにあたっての誠実さとして、論述になるよりは、その思考を獲得するまでの考えられる限りの経験とそれによる惑いを記すこと、他者から見ての飛躍を飛躍では無くすること。