夏目漱石「こころ」



罪意識を背負って生き最後に自殺した「先生」の、回想と遺書。でも暗鬱でねっちりとした場面は殆どなく、さくさくさくと短時間で読み切れる。
彼は遺書によって自らの罪を「私」に告白するのだが、自殺しようと決めたから告白を書いたのではなく、告白せずにはおれなくなったから自殺したのだと思う。彼は自分の罪を誰にも告白せずに耐えていて、ところが「私」に出会ったことで彼は序序に罪を打ち明けはじめてしまう。そして「私」が帰省し長く東京を留守にして吐露が叶わなくなったことが暴発して、長い告白をしたためた。罪意識による「孤独の末の自殺」という連鎖が起きないよう、自分の妻には見せない形で遺書として残して。
「私」と出会ったからこそ「先生」は自殺してしまった、というのは、解説の古井由吉さん曰く「多くの読者が留保してしまう」という自殺の必然性を、一応はうまく説明できてると思うのですがどうでしょう?


それを言ったら死なざるを得ないくらいの本当のこと、と言えば大江「万延…」を思い出す。どちらの作品に於いても、自分を信頼してくれていた相手を裏切り、死に追いやったという罪意識、が本当のこととして死の直前に明かされる。ただ、そういった個人的な意識ばかりではなく、「天皇」が集合的なメンタリティを表す機能として作品中に埋め込まれている。大江が敗戦経験や庶民の脱近代化を描き「昭和天皇」をうまく象徴化しているのに比べ、夏目のは「明治天皇の死と乃木希典の殉職」が当時の庶民や知識人に与えた衝撃を描ききれてない感じがして、ちょっと不満デス。