ピーター・ゲイ「神なきユダヤ人」



「A GODLESS JEW」は、フロイトの言葉からの引用。「ところで、敬虔な信仰者が誰一人として精神分析を創造しなかったのはなぜでしょう。そのためには完全に神なきユダヤ人を待たなければならなかったのは、どうしてなのでしょうか。」
本そのものは、フロイトの思想背景と彼が巻き込まれた論争(主に科学vs宗教)を概説した内容になっている。ダーウィンの進化論の影響、ナチなど反ユダヤ主義の台頭、教会による圧力など様々な文献をひっかきあつめて、当時の知識階級に巻き起こったであろう価値の変換と、フロイト自身の立脚点を丁寧に説明している。彼はしばしばある効果を狙って発言しているため、でほんとのところはどうなんだよという齟齬を解消するための傍証がすごく多い。(端的に言えば、)ダーウィンによって人間は動物に貶められ、フロイトによってすべての人間は神経症になり、それらの科学は神の権威を失墜させるのに甚大な効果を及ぼした。信仰のある人々が起こしたヒステリックな拒絶反応や、聖書に既出であるといった懐柔作戦、あるいは互いに依存しあえるはずだという楽観主義、フロイト自身の身振りに宗教性を見いだそうとする皮肉、はもう見物である。当時の地位ある人々が右往左往してるのだ。
ひとつ気になるのは、信仰があるということと、宗教に帰依しているということは同じなのだろうか。フロイトには神はいなかったし当然聖書もただの紙切れに過ぎなかったのだろうと思うけど、彼が自説を擁護する身振りには、なにか対象を特定できないが熱狂に近いものが感じられて、それは汎神論に近いのかもしれないけれど、一種の対象なき信仰だと言えるのではないかな。