ビチェ・ベンヴェヌート+ロジャー・ケネディ「ラカンの仕事」



感動的にわかりやすい!ラカン初心者に超オススメしたい。
第一に、ラカンの思想を各論文に分けてそれぞれ20ページ程度でコンパクトに解説してるのが良い。「胸像段階(幼児が鏡に移った自分の姿を見て、自分の外部に主体を形成するという論)」も「盗まれた手紙(エドガー・アラン・ポーの小説の精神分析)」も「エディプス・コンプレックス」もすべて20ページなんて離れ業だわ。電車でとかおフロでとか気軽だ。第二に、巻末の補遺で律儀にもソシュールの言語論の概説をしてるのがすばらしい。ソシュール知らないとこの本読むの辛いだろうなぁと思いながら読んでたらこの補足、痒いところを掻いていただけた気分だ。第三に、ラカンに対して著者らが、きちんと批判的な目を持っているというのも有難い。やはりこれが無いと次に続かないのだ。ラカンへの理解を補うため、あるいは彼の次の世代の思索者たちの仕事を追うために、どういう道筋をたどるのが良いか(多分)判った。
この前読んだ、講談社ラカン紹介本は何だったんだという話だ…。著者の信頼性を存じあげない以上は、信頼できる出版社(今回は青土社)をあたってみろってことなんでしょうか。


ラカンは世界の解釈の仕方を三様「想像界現実界象徴界」に分けて考えてるのだけど、そのうち象徴界というのを特に重要視しているように見える。ソシュールの行った仕事であるランガージュの機能、これをフロイトの説を発展させる可能性として、象徴界を支配する法則のようなものと見なしているようだ。ランガージュって日本語で何て言うんだろう…「構造化された言語下部組織で無意識に属するもの」とか?「あられ雪とみぞれ雪を区別するような意識構造」とか?
巷でよく見られるフロイト誤解として、「〜の夢を見たということは、〜って内心は思ってるってことだよ」というのがある。本来はそんな硬直した関係性じゃないんだけど。例えば親指を切断される夢を見たとして、それが去勢に対する恐怖を示しているのか、父親を失う恐怖を示しているのか、あるいは何か別なのか、はヒアリングを経ないと本来はよく判らないままだ。また例えば「〜という音声を語ったということは、それに似た音声を持つ〜という言葉を想定していたかもしれない」というくらいに振れ幅の激しい関係性だったりもする。そんな分析活動の中でラカンは特に、精神疾患患者のパロール(しゃべり)を通して、その下部に息づくランガージュを分析して、患者によって語られるパロールが何を指し示すのかを特定し、患者の疾患構造を詳細に探求していくという方法論をとったようだ。


ところでどうでもいいことなんだけど、こんなに小さいフォント初めて見ました。日本語は12mmの中に10文字、英語は5mmの中に10文字入ってますけど!装幀の戸田ツトムさんがこういうライン的なの好きらしいのはボンヤリわかってたけど、いや…びっくりです。