スラヴォイ・ジジェク「斜めから見る」



ヒッチコックを主な題材として、ラカン的にストーリーを分析し、登場人物がどのような作用を表現しているのかを論じている書。ヒッチコック映画はあまり見てないが、ヒッチコック的スリラー/サスペンス/ホラーは活字では大変なじみがあるので(中高生時代に最もよく読んだジャンル)、単純にあーそうそうという懐かしさとか、むしろそれらが類型化されたかのような悲しさとか、結末の必然性を鮮やかに説明されてしまった悔しさとか、そんなものをいろいろ感じた。
ラカンの理論をいまいち把握しきれてないせいで、個々の題材への分析はよく理解できても、それを総括するのが難しい。が、「ロゴス中心主義の社会においては女性は捏造された欲望として現れる」という存在措定の方法が、ラカンの「女性は存在しない」とかいうような言葉に表現されていたらしいのがなんとなく判った。確かにミステリーにおいては、ファム・ファタールは男性主人公のリビドーを(性以外でも)非常によく立ち起こしていて、それが消費され尽くしたところで突如として彼女は消失する運命にあるのだ。糸井重里の名コピーを借りるならば、「欲しいものが欲しい」という視線を受け止め消耗させそれを繰り返す装置としてよく稼働しているのである。
また、カフカポストモダンとみなすその視点がおもしろかった。グレゴール・ザムザに何らかの変化が起こり、彼の家族がそれに対して怯え、彼が次第に衰弱して最後に死す。それをストーリーとして表現する場合に、「ザムザにどんな変化があったのか明かされないまま終わる」のがモダニズム的視点であり、「ザムザが毒虫に変身したということが最初に明かされる」のがポストモダニズム的視点だ、という意味で述べているのだろうと思う。